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 エマ/ジェーン・オースティン

1)<主人公エマ・ウッドハウス>
南イングランド、ハイベリー村に気弱で病弱な父と暮らす、美貌で才気に富む女性。近隣指折りの家柄の富裕な家庭で、母が亡くなり姉が結婚したため、一家の女主人となっている。

2)翻訳が良くなくて苦戦。これまで読んだオースティン作品の翻訳はみな良かったのに、これはちょっとひどい。それでも単行本で買ってしまったので、このまま捨てるのも忍びなく、とりあえず読了はするつもり。

エマはこれまでのヒロインとはだいぶ違った女性で、自らは結婚したいとは全然思っていない女性。母亡き後、一家の女主人として父親や周囲から、何でも一番であり、やることなすこと全て正しいと思われている。エマはそういった居心地のいい生活から離れたくないらしい。今のところはちょっと傲慢とも思えるような主人公だ。階級や身分の差別はその時代には当然のことだったのだろうが、この作品が一番そういったことを感じる。

3)読了。解説からまとめてみると、この物語は次のようなことが言える。

「エマはどういう女性だったか」─彼女はありあまる想像力によって過ちばかり起こした。そういう錯誤のうちに、優れた紳士であるナイトリーにたしなめられ導かれながら、少しずつ自らを矯め直し成長させていった。
エマの上流好き、上流気取りはまったく弁護の余地もないが、人々はそれぞれの時代において、異なる意識を持っていたということを見ないわけにはいかない。問題は、優れた作品は、そういう時代の相違を超えて人間の心に訴える力を持つということだ。

女性が一個の人間として、世のひとりひとりの人間を(異性であれ同姓であれ)誤りなく見る目を養うこと、そしてそれらの人々と誤りなく交渉を持ち、相手を傷つけたり自分を不幸にしたりすることなく、家庭に社会に、かしこくて責任ある、人にあまり迷惑をかけたりしない女として生きるということを、エマは過失を通じて学んでいく。これはそういった「教養」の書であるだろう。

必ずしも好ましくはない人物を主人公としたこと、そしてこの想像過剰をからかっていることなどにおいて、オースティンは彼女自身が多く読まされた、18世紀的小説への反撃を行った。この小説は、もっとも手厳しく辛辣痛烈に人間性を分析し諷刺したものだ。しかし社会階級の差別という異質の世界の中から、人間の性情には永久に変わらぬものが含まれていると感じさせる何かが、絶えず我々にささやきかけてくる。

ここでもまた、夏目漱石は「ジェーン・オースティンは写実の泰斗なり」と絶賛しており、モームもまた「・・・すばらしく面白く読める─もっと偉大で名声も高い小説家のあるものよりも面白く読める」と、難しい議論は抜きにして、面白いからいいのだと断言している。彼らはオースティンの小説を繰り返し読んでも飽きないらしい。

私の感想も、このモームの言葉に尽きる。
オースティンは、とにかく面白いからいいのだ。


2002年05月09日(木)
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