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■ 永遠の王─アーサーの書(下)/T.H.ホワイト
円卓の旗のもと騎士たちは集い、アーサー王の治世はその理想を全うしたかに見えた。しかし、無二の親友ランスロットは妻のグェネヴィアと道ならぬ恋を育み、おまけに国王の失墜を狙う策謀まで渦巻きはじめていた。少年ウォートの運命とは、悲劇の王として生きることにあったのか?波瀾万丈の物語は、やがて苦渋に満ちた人間ドラマへ。叙事詩、ここにクライマックスを迎える。
下巻はいわゆる「円卓の騎士」「聖杯探索」「アーサー王の死」の物語だが、ほとんどが世界一の騎士ランスロットとアーサー王妃グェネヴィア(グウィネビア)の不倫話だった。600ページ近くあるので、上記3点のテーマについても詳しく書いてあるのだろうと期待しており、ホワイト流の解釈も楽しみにしていたのだが、ホワイトは主にランスロットに焦点を当て(もちろんアーサー王の死に繋がる重要な事柄ではあるが)、トリスタンとイズーのロマンスや、緑の騎士などの話は「マロリーで読んでくれ」というわけだ。
マロリーとは、有名な『アーサー王の死』を書いたサー・トマス・マロリーのことだが、最後に小姓としてマロリー自身が登場するほか、特に説明はない。ということは、読者は当然マロリーの作品を読んでいる、あるいはマロリーが「アーサー王の死」を書いたことを知っているものと仮定して書かれているということである。もし知らなければ、この小姓は誰?で終わってしまう。これは上巻でもたびたび感じたことだが、この本は基本となるアーサー王物語を、当然知っているものとして書かれているのだ。知らなくても理解できないわけではないが、知っていれば、さらに深く理解できるということだろう。
個人的にはランスロットとグェネヴィアのロマンスは、アーサー王物語の中では好きでない話で、また忠誠を誓ったはずの騎士(しかも世界一の!)が、なぜこのような裏切り行為を続けるのか納得できないという気持ちもあって、これがメインテーマとなっている本書は、やはり好きにはなれない。これ(ランスロットのロマンス)はもともとそういう話だから、ホワイトが悪いわけではないが、サトクリフのものよりも、より綿密に二人の関係を描いており、ちょっとしつこいくらい。詳しく書けば書くほど、美しい愛の物語からは遠く隔たる。それに比べて、他の騎士(ガウェインやパーシヴァルなどなど)についての言及は少なく、それも物足りない。
ガウェインは重要人物なので、そこそこ紙面はさかれているが、髪の毛の色ひとつとっても、赤毛だったり砂色だったりキツネ色だったりして、なにやら正体不明。ガウェインが死ぬところ(実際には描かれておらず、手紙によってそうとわかる)は、やはり悲しかったが、一貫して描かれているランスロットの不倫話には、少々うんざり気味。マーリンとニムエ姫のエピソードも茶化されているし、それがホワイト流のユーモアであるというわけだろうか?
何よりも、アーサー王の魅力が語られていないのが、一番の不満かもしれない。理想を実現しようとするその胸の内はわかるし、戦争に反対するホワイトの思想も理解できるのだが、これは歴史書ではなく、フィクションでありエンターテインメントでもあると思うので、アーサーが魅力的でなければ、「アーサーの書」としては片手おちではないのだろうか?アーサーは騎士や王妃の心配をしているうちに、いつの間にか年寄りになり、死ぬのか死なないのかわからないうちに話が終わってしまう。息子モードレッドに倒される部分もないし、アヴァロンに渡る部分もないので、これでは「指輪物語」との繋がりも見えない。出版事情によって削除された部分に、それはあったのだろうか。。。
訳者のあとがきに「ホワイトは本書で、ユーモアに富んだ語りで読者を楽しませるという本領を存分に発揮している」とあったが、原書ではそうなのだろうか?だとしたら、翻訳ではそのユーモアが存分にいかされていなかったのだろう。「お道化は物語を渋滞させる」見本のようなものとなってしまったようだ。もっと簡潔に要点をまとめてくれたら、立派な「アーサーの書」になっただろう。まことに勝手な判断をすれば、「アーサー王物語の形をとった、ホワイトの趣味の本」という感じだ。
2002年06月01日(土)
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