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無理強いはよせ...FDN

 

 

久々長文・鎌倉日記 - 2003年09月27日(土)

本日は鎌倉に行った。鎌倉など、1200年都市の京都に比べたら狭いと考えていた私であるが、どうも目算を誤り、一部中の一部しか回れなかった。まあ、移動が徒歩だったし。

本日は北鎌倉をスタートし、徒歩で寺とか弁天様を回り、鎌倉駅から江ノ電に乗って沿線散歩に出かけた。しかし、スタートが12時と言うのがやはり遅かったらしく、17時には殆ど閉まってしまう神社仏閣は午後5時には強制終了となった。

本日の待ち合わせは北鎌倉駅の予定だったが、彼女の家が大船であることから、大船で合流した。尚、本日は車の出動はしていない。

北鎌倉を降りてまず向うのは、まあ当然だが駅前にある円覚寺だ。駅前と言うのは若干語弊があり、横須賀線は円覚寺の境内を走っている。明治時代に軍港横須賀と首都を結ぶ横須賀線建設の計画が持ち上がったわけだが、そのルートは円覚寺の境内を突っ切ると言うものだった。もっとも、横須賀線は円覚寺境内の西側(円覚寺は東西に伸び、奥は東側)を走っているので、主要部が移転を余儀なくされると言うことは無かったようであるが、この影響で円覚寺境内入口付近にある池は縮小されたらしい。また、山門が入場料払うゲートのすぐのところにあるのはこのような事情があるから、のような気がする。山門に至る前に配される、参道両脇に作られる上述した池は、横須賀線を挟んで西側にある。つまり、境内に入って両脇に池があり、その先に山門があるのに、途中に踏切がある、と言うイメージだ。この池は行っていないが。

明治時代のインフラ整備は、文化遺産云々が案外無視されてモノが建設されたケースがいくつかあるが、その代表例は京都南禅寺の琵琶湖疎水の一部である水路閣であろう。南禅寺境内に、巨大なレンガ造りの水路橋が横切っている。写真でしか見たこと無いが、今でこそ古臭くなった高架水路は味があって、風景に同化している印象があるけども。

円覚寺は「えんがくじ」と読む。私は「えんかくじ」だと思っていた。確か中学校の社会ではえんかくじと習った記憶があるのだが。えんかくじしゃりでん、とかね。

円覚寺の開基は八代執権の北条時宗で、開山は南宋の僧である無学祖元である。境内には仏舎利(円覚寺にあるのは釈迦の歯らしい)のある超有名過ぎて恐らく入試にすら出ないんじゃないかと言う舎利殿(入試の日本史なんて知らんが)、これまた国宝で鎌倉で最も大きい梵鐘、時宗の墓所であるもある仏日庵他、臨済宗の寺ゆえ多数の座禅場がある。円覚寺は鎌倉五山の第二位と言う、鎌倉でも相当ハイクラスな寺ゆえ敷地も比較的広いが、まあ他の本山系の寺社の方がデカイ気もする。ほら、鶴見の総持寺とか、ああいう奴の方が広い。まだ奥あんのかよ、と言う感じでもなかった。

円覚寺は味のある山門(県重文)をくぐった後、鉄筋コンクリート製の仏殿にぶつかる。先日、彼女は一人で円覚寺に来て見たらしいが(何しろ家から歩いて行ける)、「柱をペンキで塗ってて、ペンキ臭かった」と言っていた。つうことで、仏殿は味が無い。

仏殿を超えると、道は若干左に寄るが、これは中央部に大方丈があるからだ。大方丈を横目に、先に進む。左手に妙香池が見え、虎頭岩が配されている。が、虎には全く見えない。彼女も全く虎に見えないという。妙香池は国の名勝として指定されているようだが、私が素晴らしいと思ったのはその上にある正伝庵と言う塔頭である。が、内部は一般公開されていない。

すぐ先に行き、左に曲がると円覚寺における最メジャーアイテムと言える舎利殿がある。が、通常は一般公開されていないので、門から舎利殿を眺めるだけである。仕方ないので、クリエ付属のカメラで写真を撮るにとどめる。

舎利殿に行く道を引き返し、ちょっと奥に進むとこれが仏日庵。元々は執権の中で最もポピュラーと言える、打倒モンゴル(打倒までしてないが)時宗の廟所だったらしいが、最終的には北条氏歴代の墓所を兼ねる塔頭となったようだ。新田義貞にやられた最後の執権高時も、ここに祭られているとの事。因みに、高時と言うと崩壊寸前の幕府においても、内政をほったらかしにして京から芸能人呼んで楽しんでいたと言う、まるで足利末期のダメ将軍のようなイメージを小学生の時に読んだ学研のマンガ日本の歴史シリーズ以来持っていたのだが、最後は自刃したらしい。高時の生涯は私も良く知らない。てゆうか、時宗以外の執権の生涯など、あっしは良く知らんのですけどね。時宗にしても、大河ドラマで若干見た程度ですよ。

仏日庵は、入るのにプラス100円が徴収される。円覚寺に入るだけで金を取られるのに、さらに取られると言うことで、まるで東京タワーの特別展望台のようだ。さらに、100円だけでなく500円を払うと、抹茶と菓子が貰える。当然500円に乗る。つうか、500円くらい払うけどね。って、私の分も彼女が払ってましたけど。

仏日庵は主殿が茅葺屋根の味のある建物で、中には時宗や高時の法体が安置されている。その前に長いすが置かれ、ここで抹茶を飲むことが出来る。私は山川出版社の鎌倉散歩24コースの、まるで教科書かと見紛う文章を読みながら、取り敢えず円覚寺の歴史などを学習する。

仏日庵にはおみくじを引けるところがある。彼女は「この前ここで引いたら大吉だった」と喜んでいるが、こんなところにあるおみくじは殆ど大吉だよ、などと水を差し、私も引いたがやはり大吉だった。しかも彼女が大事に持っていた大吉おみくじと全く内容が同じもので、彼女の失望は甚だしかった。しかし、彼女の失望は後ほど銭洗弁天で解消される。

円覚寺はこれで全て見た、という訳ではないのだが、やはり鎌倉五山第二位、すべてに付き合うわけには行かない。という訳で、ハイライトと言うべき梵鐘を見に行くことにした。鐘楼は仏殿や方丈の脇にあるわけでなく、良く分からないが境内の山の上にある。

この梵鐘は、鋳造に際して若干のエピソードがある。鎌倉随一の大きさを誇るこの梵鐘だが、実は簡単には鋳造されなかった。鋳造を命じたのは当時の執権である貞時であるが、上手くいかないことを偉い坊さんに相談したらしい。その時、その坊さんは「江ノ島に篭ってみろ」と言うアドバイスを与えたらしい。貞時は江ノ島に篭ったが、その際に夢で境内の池(妙香池だったか?)を探れと言うお告げを受けた。お告げに従うと、池から竜の形をした金銀合金見たいのが出てきて、それを鋳造の際に混ぜたら上手いこと高さ2.5mに
及ぶ現在の梵鐘が出来たらしい。

へえー。

鐘楼のある場所はあんみつを食わせる甘味処がある。ここからの景色は中々格別だが、その甘味処に入らないと、その景色を眺めることは出来ない。私はコーラを飲んだだけだが、彼女はところ天を食べていた。

円覚寺を辞して、次に向ったのは明月院だ。明月院は円覚寺から鎌倉方面に若干南下したところにある。

明月院は、現在は廃寺になった寺の塔頭だったものらしく、寄生寺院のような塔頭だけが今に残っているようだ。明月院は平治の乱で戦死した地元の侍である首藤某を供養するために子供が作ったものがルーツらしいが、重要なのはむしろ北条氏興隆の一翼を担った執権時頼で、時頼の墓が明月院境内にある(地味)。

明月院は別名「あじさい寺」と呼ばれているが、その名の通りアジサイが多く植わっている。そのほかにも様々な植物が植えられており、彼女は中々気に入っているようだ。一番奥にある本堂は、ユニセフの募金をすると中に入ってお茶が飲める。本堂には丸い窓が穿ってあり(穿っているわけではないと思うが)、そこから庭園を見ることが出来る。しかし、今日は混んでいたので、入るのはやめた。

明月院は横須賀線の走る道に行くまで、明月院川と言う結構きれいな川沿いに走る道を歩くのだが、ここは文人などが比較的住んでいたようで、そんな看板もある。しかし、その中で私が知っていたのは澁澤龍彦だけだった。澁澤龍彦、一冊読んだことあるが、多分二度と読まないと思う。あまり面白くなかった。

明月院川沿いにも甘味処のような店が何軒かある。が、川を挟んで住宅もある。ある家で結構な量の庭木を切った捨て木を出している家があったが、これを見て彼女が、鎌倉市の極めてうるさいゴミの分別収集の日に「植木剪定材」の日があるのを理解した。彼女はずっと横浜市金沢区に住んでいたが、最近大船に引っ越した。大船は大船駅のホームの半分が横浜市内にあるように、横浜市と鎌倉市の境界線上に存在する街であるが、彼女の住所は鎌倉市だ。引っ越してきた時には何でこんなモノのために収集日があるのか謎だったらしいが、鎌倉はこのような庭木から出る鎌倉ユニークなゴミが多いのだろう。

次に向ったのは建長寺。ここは鎌倉五山第一位と言う名門中の名門だが、味が無いので私も彼女もあまり気に入らない寺院だった。感想省略。特筆すべきはリスがいることくらい。

小腹が空いたので喫茶店で若干の腹ごしらえをして、次に銭洗弁天に向うことにした。しかし、ここから弁天様に行くには、扇が谷切り通しと化粧坂切り通りを越えなければならない。既に時刻は4時を回っており、5時に閉まる(と言っても、特に門などは無かったと思うが)弁天様に間に合うかが若干心配である。

勾配は急だが舗装された扇が谷切り通しを越えた後、丸っきり普通の住宅街といえる(とは言え鎌倉の風情を感じる)道を歩きながら、化粧坂切り通しを急ぐ。しかし、私の記憶ではこの道は「間違えているんじゃないの?」と言うほどのひどい道で、舗装は当然されていないし、道自体がでこぼこしている山と言う感じである。と言うより、切り通しと言っても何処を切り通しのたのかすら疑わざるを得ない。何しろ本当に普通の住宅街から、いきなり裏山に登るような風情でその化粧坂はあるのである。尚、化粧坂を登ったのは小学生の遠足以来。小学校時代の記憶とはかなりかけ離れた印象を持ったが、あれは化粧坂ではなかったのか?

源氏山公園内を歩き、銭洗弁天に無事到着。むかしから「べにあらいぜんてん」とつい言ってしまう、有名な弁天様だ。入口は岩山をくりぬいたような素掘りトンネルのようなものを抜けた先にある。水がいたるところから湧き出る、極めて涼しげでこじんまりとしたところである。

銭を洗う泉は、奥の洞窟のようなところに出ている。銭洗弁天は、かつて源頼朝が夢でお告げのあった所を掘らせてみたら出てきたもので、以来信仰が続いている。私はザルで50円玉を洗って賽銭箱に入れたが、隣のカップルは1万円札を洗っていた。ここのご利益は洗った金が倍になって返って来ると言うものである。

外ではお守りやおみくじを売るところがあるが、そこで私はおみくじをやってみた。先ほど円覚寺で大吉が出たが、「こういうところのおみくじは大抵大吉なんだ」と言う私をまさに哄笑するかのような「凶」。今までの人生で、凶が出た記憶は殆ど無い。と言うか、無い。因みに彼女は大吉だった。何か、馬鹿にしていて罰が当たったような気がして、500円のお札を買ってしまった。結局銭洗弁天では600円を払ったことになる。大した金額じゃないが。お札は買うときに、おばちゃんが火打ちをしてくれる。それを見て彼女が、「火打石欲しいな」と言っていた。

銭洗弁天を辞してからは、歩いて鎌倉駅に向う。もう午後5時を過ぎているので、寺社には入れない。という訳で本日の鎌倉はお終いと言う感じにあるわけであるが、私としてはやはり江ノ電に乗りたく、鎌倉駅へ向った。とは言え、今日は車で来ているわけではないので、いずれにせよ駅に向わなければならない。

鎌倉は普通の住宅街でも、何故か喫茶店を営んでいたり小物屋を営んでいるところが多い。これらの別に入らなかったが、これも何の変哲も無い住宅街に住んでいる私としては、妙に珍しい。こういう店を冷やかすのも面白いかもしれない。

鎌倉駅に着いた。既に夕方だが江ノ電をなるべく満喫したい私は、もう夕方だと言うのに一日乗車券を購入した。江ノ電は路面電車クラスの小さい電車であるが、休日は客が多いのか、4両編成で運転している。我々は当然だが、先頭車両に乗った。

噂には聞いていたものの、江ノ電は全く家の軒先を掠めて走っていく。家の人はうるさくないのだろうか。植木をかすっているような感じもあり、あまりに家に近くて先頭じゃないと景色が殆ど見えない。と言っても、先頭でも家が切り通されたようにしか見えない。
一通り藤沢まで乗り通しても良かったが、そんなに時間も早くないので、取り敢えず途中駅で降りることにした。まずは極楽寺駅で降りた。本当は長谷で降りて大仏を見たかったが。もう時間が遅い。

極楽寺駅はその名の通り駅の横に極楽寺がある。だが、極楽寺はもう閉まっており、入ることは出来ない。持ってきた「大きな字の地図で横浜・鎌倉を歩こう」で見ると、隣の稲村ヶ崎駅までは歩いて10分程度だ。また、地図を見ると江ノ電を斜めに横切る道がある。実はここは以前車で通ったことがあり、何の柵も無くて、道と殆ど同じ高さに軌道があり、そこを江ノ電が橋って行く姿を見て、一度歩いてみたいと思っていたのだ。

歩いていくと、ウェットスーツを着て髪の毛を濡らしたおっさんが自転車をこぎ、その後にロングサーブボードを積んでいる別の車を牽いて走っている。地元のサーファーだろうが、見たこと無い光景である。この辺の人は休日は近くの海岸でサーフィンをするのか、とは思わないが、そんな感じである。

道は江ノ電沿いを歩くが、途中で江ノ電の車庫がある。ここからさらに稲村ヶ崎駅方面を歩くと、これまた見慣れない光景が出てきた。

江ノ電沿いはここも住宅が並んでいるが、家の門が江ノ電の軌道に向いている。門の前は道は無く、いきなりバラスト(砂利)の上に線路が走っている江ノ電軌道になっている。我々が歩いている線路を挟んだ対面の道路と線路の間はコンクリ製の柵があるのだが、各家の門の対面にある柵は、そこだけ柵がきれいに無い。つまり、この家に入るには、この柵の開いているところを抜けて、砂利の上を歩いて線路を跨いで、家に入らなければならないのだ。踏み切りのように線路の段差を無くす板のようなものも置いていない。

これにはさすがに我々も常識を疑わずにはいられなかった。彼女は線路の上を歩いたりしている。本来、鉄道軌道は危ないから入っちゃいけないところだ。路面電車のようなケースもあるし、江ノ電は区間的には路面電車になるけども、ここはバラストを敷いた、明らかに鉄道軌道専用の空間である。

さて、更に進むと、例の道路と鉄道軌道が全く同じレベルにある場所に来る。ここは道が狭い割に一方通行ではなく、従って若干大きめの車はバラストに乗り上げなければすれ違えない。実際、ベンツなどは縁石の上に乗っていた。多分ここで柵を設けては車がすれ違えないことから、このような構造になったように思われるが、にしても面白い。

踏切を渡って真っ直ぐ行くと、また江ノ電の踏み切りに突き当たる。その先は稲村ジェーンよろしく、稲村ガ崎海岸になっている。が、我々は稲村ガ崎海岸には出ず、線路脇の小道を進んで、稲村ヶ崎駅に向った。

稲村ヶ崎駅は島式のホームで、江ノ電が擦れ違う駅に使われている。駅の周りには小さなスーパーや喫茶店がある。一日乗車券を取り出して、駅に入る。

ホームにいるおばちゃんと、線路を挟んだ向かいの家の勝手口から出てきたおばちゃんが世間話をしている。その横から飼っていると思われるネコが出てきて、線路上を歩く。何かいい感じだろ?

電車が入ってきて、乗り込む。私はクリエを取り出し、江ノ電のホームページにアクセスして、路線図を見る。次に降りようと思うのは鎌倉高校前駅だ。ここは海岸沿いの駅で、江ノ電の中で最も海に近い駅だと思う。その名の通り県立鎌倉高校が近くにあって、高校生の利用が多い駅である。

と、ここで一日乗車券を落としたことに気づいた。探しても全然無い。やっぱり弁天様の凶は当たったのかと若干ガックリした。駅員に何て言えばいいんだ?通常なら

「すいません、極楽寺から」

とか言えばいいんだろうが、落としたのは一日乗車券だ。

と言う若干の心配は杞憂で、鎌倉高校前駅は無人駅だった。

鎌倉高校前のホームからは、相模湾が一望できる。右手には既に灯台が光をグルグルさせている江ノ島も見えるし、沖には船のものと思われる光も見える。三浦半島の葉山方面も遠望でき、中々いい感じだ。この駅の前も何度か車で通ったが、いつも渋滞している134号線から横目に見て、一度来てみたいと思っていた。しかし、一度ならずまた来たい駅かもしれない。

せっかくなので134号線を渡って、海岸に下りてみた。稲村ガ崎は海岸の浸食がかなり進んでおり、確か今年だか来年からだか、海水浴場を閉めると言う話を聞いた。と言っても公式に海の家とかを出すのをやめるだけで、サーフィンなどを禁止するわけでも無いらしい。実際サーフィンしている人はいた。尚、原チャリの脇にサーフボードを括りつけて走り去る若いサーファーもいた。サーフボードの運び方の様々な形を見た感じがした。

彼女は何故かレジャーマットのようなものを持ってきており、海岸に敷いて暫くボッとする。先週は忙しくて陰鬱になった感じで、金曜は体調悪くて医務室で採血したほどだったが、今日はリラックスできたと満足した。

江ノ島で小田急に乗り換えて、彼女は藤沢から大船に向った。私はそのまま小田急で北上し、中央林間で乗り換えて帰宅。

今日は鎌倉の僅かな部分しか回れなかった。まだ暫く行く必要があるだろう。恐らく紅葉シーズンは物凄いことになりそうだ。何しろ、円覚寺はもみじだらけだった。薄緑のもみじも爽やかで好きだが、真っ赤なもみじも当然見ごたえがあるだろう。

鎌倉オススメ。


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