unsteady diary
riko



 ピアノよもやま話


久しぶりに行ったブックオフで、『キス』(マツモトトモ 白泉社)の続きを買った。
デビュー時から独特のオーラが出ていて、注目してきた漫画家さん。
読みきりだった「キス」が気がついたらブレークし連載になり、いまも続いている。私自身は、LaLa本誌を読まなくなって自然と遠ざかったけれど。柔らかくてセンスのいいカラーを見るたびに、相変わらず夢みたいに綺麗な話を書いてるのかなあと思っていた。


これはピアノの話なの。
それも、サティとか、ジャズとか、わりとミーハーな。
なので、今日はピアノの昔話。

楽しんでピアノを弾けたらいいのにとずっと思ってた。
母が弾く為につくった防音室まであるのに、私自身はもうほとんどピアノに触ることは無い。
でもねえ、外でグランドピアノがディスプレイされてたりすると、
引き寄せられるんだなあ。
だって弾いてあげないとホントはもったいないのよ。

私は、ドビュッシーとかラベルとか、そういう甘ったるいのが好きだった。
けれど、それだけじゃテクニックは身につかない。
課題曲がなければ、自分の適性にあった曲が選べるけれど、
そうはいかないときもある。
たまに受けたコンクールでの批評は、
「音楽性はずば抜けているけど、テクニックや指の強さがなくて、音が割れてしまうのが残念でならない。」という感じ。
オクターブがやっと届く程度のちいさな手で、
それでも指を広げるための訓練をしていた私には、
その言葉がイヤだった。
音楽性なんて曖昧で煮ても焼いても喰えないもの、要るもんか、とさえ思った。
母が、自分にはないという私の“音楽性”をどんなに褒めようが、私はけっきょくは予選落ちの身だ。片や、母はそれなりのテクニックと器用さとがあるから、ちゃんといい成績で音大に進んだわけだ。
だから、そんな褒め言葉、信じられるわけが無かった。

中学1年の春。
NHK交響楽団のOBがやっている楽団と、子供たちの夢の共演というプロジェクトが立ち上がり、お誘いを受ける。腐ってもN響っていうことで、みんなで割り勘するとはいえ、ビンボーな公務員家庭にとっては、けっして安い金額じゃなかった。
それでも母は、やってみたら、と言った。
自分が、卒業演奏会やら読売新人演奏会やらいろいろ経験していても、オケとの共演だけは一度もやれなかったからだと思う。
ソロでオケを引っ張ってくれば、数百万はくだらない。
だからちょっと高くても、機会があるときにやってみたら、と。

当時、10年近く続けてきたピアノに煮詰まっていた私は、なにかが見えるといいと思い、やってみることに決めた。
だが、与えられた曲は、ほかの共演者とのバランスとオケ用に編曲できてる曲の少なさの兼ね合いで、なんとソナチネ…。
「夜想曲」だの「愛の夢」だの、ほかの共演者は曲らしい曲を弾くなかで、よりによって私のいちばん苦手なテクニックばっかりのコテコテの練習曲みたいなのを弾かなくちゃならないのか、と思った。
一人だけヘタなのだからしょうがない、とはじめは諦めモードだった。

ソナチネっていうのは、3楽章形式で、1,3楽章は、だいたいテクニックが必要になる明るい曲が多い。でも、2楽章だけは、きれいな曲がサンドイッチされてる。
といっても、ソナチネ用の2楽章だから、トロイメライみたいなフクザツさはなくて、音符面は小学生の低学年でも弾けそうな易しさだし、すごく短い曲だった。
それでも、一音一音に心を込めて思うように弾くしかないと思った。

はじめての合わせの日。
高輪の練習場へ行って、オケの音合わせに出くわす。
床がぎしぎしいう。
人の会話みたいに、いっぱいの音がする。
それも自然に空間に満ちている。
ピアノの音色は聞き飽きていたけど、これにはなんだかどきどきした。

いざ合わせに入る。
1楽章から。
私はいつもの伴奏のくせで、オケに自分の演奏のほうを合わせてしまって、指揮者に苦笑された。
きみは主役、自分の思うとおりに弾いていいんだよ、と。
じゃあ、と急にテンポを上げて自分のペースで軽快に弾くと、今度はオケがてんてこまい。
ピアノと同じメロディを弾くはずのバイオリンが、合わない合わない。(笑)
指揮者が慌ててオケに指導している。
でも最初のときよりずっと、皆が生き生きしてるのがわかる。
自分も自然と顔が綻ぶ。

2楽章。
のびのびとめっちゃスローペースで歌う。
自分の音が練習場に響く。
オケの音色が気持ちよくて、合わせる呼吸に酔う。
気がついたら会場はしーんと静まり返っていて、
それから思い出したように拍手が起こる。
オケの人たちは、弦で拍手の代わりをするの。
あちこちからその音がして、弾き終わったんだという感じがして、
嬉しかった。
お世辞じゃなくて、純粋に自分の弾き方を気に入ってくれたのが伝わってきて、
私も素直に受け止められた。

合わせを終えると、楽団の方から声をかけられる。
「いい演奏だったよ。おじさんたち、ちゃんとついてゆけるように練習しとくから、次もいい演奏をしよう!」と。
思わずにやりとすると、にやりと返される。
子供だからって手は抜かないよ〜って言い残して、彼らは去っていった。

そうして合わせの日を終えた。
ピアノを弾いていて、楽しいと思えたのは久しぶりだった。

本番では、バイオリンは一糸乱れず私のリズムにぴったり合わせてくれ、
(かなり練習してくれたみたい…(笑))
2楽章は以前にもまして力が入った演奏で、私が自分のしたいようにするのを援護してくれ、すべて弾き終えたときに、はじめて観客がいたことを意識した。
オケと、音をおもちゃに遊んでるみたいな気がしてたんだと思う。

来てくれた母のピアノ関係の友人さんから、
「ソナチネがあんなに聴き応えのあるものだとは思わなかった」と言って頂いた。
素直に、自分に与えられたのがソナチネでよかったと思えた。
ソナチネだから馬鹿にされるというのは、確かにあれど、
ソナチネだって感動させられるのだと気づいた。
難易度やテクニックで競うなんて、やっぱり馬鹿みたいだと思った。

それを境に、私はピアノをやめた。
その日があまりに楽しかったから、そう決心することが出来た。
手が小さくて、オクターブがやっとでは、もう職業としてのピアノの先がないということ。
それから、楽しんで弾くなら、競う場所にはもういたくないということ。

母は案外すんなりと納得してくれた。
たぶんもうずっと前から、ピアニストにするという夢は諦めてたんだろう。
どれだけお金と時間とをかけてきたことか、ということは言われたけれど、
この時やめさせてくれたことに、感謝している。
ピアノばかりやらされていた小学生のころ、一年でたった2ミリしか伸びなかったこともあったけど、やめてから数センチ背が伸びた。


音楽が嫌いなわけじゃない。
でも、自分の納得できる演奏ができないなら、中途半端はいやだった。
いまは、もう一度やってみたい気がしている。


2001年04月19日(木)
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