unsteady diary
riko



 「どうあったってきみは普通にはなれないんだよ」


「ジャック」を子供の日にやるあたりが、憎いね。(笑)>フジテレビ

ロビン・ウィリアムが大好きで、この映画は以前ビデオで借りて見ました。
地味だけども、かなり好きな映画のひとつ。
吹き替えが泣きたいほど合わなくて、唸ってしまったけど。
そもそも、あのロビンの演技は、誰も吹き替えられそうにないんだわ。

ロビン演じるジャック少年は、人の4倍早く細胞が成長する体質に生まれた。
だから、なかみは10歳でも、身体は40歳。
奇異な目で見られるから、学校へ通ったことはなかったのだけど。
徐々に友達が欲しくなり、外ばかり見るようになり、
家庭教師の先生が、両親へ学校へ行かせたらどうかと提案する。
学校では、最初はモンスターだとか言われてからかわれるのだけど、
そのうち彼の純粋さに気付いた子供たちが出てきて、
彼らはどこにでもいるフツーの悪ガキのように遊びまわるように。

けれど、ある事件を境に、彼は自分が急速に老いていくことを怖がりはじめる。
身体は老化して、学校へ行くことさえ困難になりはじめる。
どうせ勉強しても、みんながオトナになることに、自分は生きていない。
「27歳の自分」を想像して、そのとき自分はどうしたい?というふうに思ったとき、「生きていたい」としか答えられない自分に気付く。
不安にかられる。
ならば今なにかを、と学校の先生をデートに誘うが、けっきょくなかみは10歳で、当然断られ、傷ついたりもして。
身体はおじさんなのに、恋愛もできない子供。
そのギャップに苦しみ、ジャックは無気力に。
未来のことを考えて、なにをしても無駄だって塞ぎこんでしまう。

そんな彼に、「きみは流れ星だ」と家庭教師の先生は淡々と言う。
あっというまに通り過ぎてしまうけれども、めったに現れないし、
空を駆け抜ける間は、他の星も見とれてしまうって。

でも彼は、「普通の星がよかったなあ」ってつぶやく。

そうしたら先生は。

「きみは普通にはなれないよ。どうしたって特別なんだから。」

と言う。

これは蔑みでも同情でもない。
それが事実。
そして、その事実をどう受け止めるか、それだけが自分が唯一変えられること。
私はそんなふうに受け止めた。

設定が特徴的で、そのわりに地味だったりもするこの映画が忘れられないのは、たぶんこのシーンが好きだから。
そしてジャックは立ち直り、最後70歳くらいのよれよれのおじいさんの外見で、高校卒業を迎え、スピーチをする。
ううっ、泣きどころ。
ついでにラストに歌詞のすてきな歌が流れて、また泣かされるはずが、
テレビ放映ではカットされちゃってました。(涙)


さて、「ヒジュラに会う」(大谷幸三著 ちくま文庫)を異例の速さで読み終わったところです。

“ヒジュラ”とは、自分自身を、男でもない、女でもない、ヒジュラだと信じて生きる人々の総体です。(←とあとがきを引用)
インドで独自のグループを形成して、いわゆるカーストから離れ、家族から離れて、男とか女とかの性のカテゴリーの外で生きている人々、と言えばいいでしょうか。
私自身、知識が絶対的に足らない状態なので、誤解を招いてしまったらごめんなさい。

この本は、りょうか嬢の家の本棚から奪ってきたものなので、付箋をつけつつ読んでます。
自分で探したいんだけど、再版されてないみたい。
この本、読み進むのが正直辛い部分もあったりもして。
「自分探し」について、いろいろ考え込みました。


前述の映画「ジャック」と「ヒジュラ」とは表向きまったく関係がないようにも見えます。
ただ、そこにある「特殊」←→「普通」という図式の持つ問題はきっと同じ。
前者はありのままの自分をみんなに認められ、みんなのなかで生きてゆく。
後者は…自分のなかでの戦い。
その結果、「ヒジュラ」として、自分を矛盾の無い形へ認めなおす。
去勢の手術を行う場合は、それがすなわち、古い自分のなかでの矛盾を切り離す肉の塊にこめて死なせてしまうことを意味する。
その結果、「ヒジュラ」という性なき存在として自分を再生する。

うまく言えないけど、どちらも痛みを伴う作業ではあるでしょう。

私は「普通」という言葉が、嫌いで、好きな、矛盾した自分を持っています。
この問題をいまもって解決できてない。
一生こだわってゆくことかもしれないとも思う。
そのパラダイムを壊したくても、私は手のひらに乗ってる孫悟空だから。
それでも、気付かなければよかったと思うことはない。

自分が普通だと信じて疑っていない人。
自分が幸せだと信じて疑っていない人。
私はそうはなれずに、だから苦しくもあるけれど、やっぱり気付いているだけよかったと思う。
そのぶんだけ、普通ではないことを抱えるイタさを知ってるつもりで。
それと同時に、偏見深い自分も改めて自覚させられたけれど。
それでいいんだと思う。
迷っている自分が、外に出せる今が、ある意味とてもすごいことなんだと思う。


2001年05月05日(土)
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