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思考 - 2001年01月28日(日) 今日は朝起きたら8時。 学会は9時から始まるのに。慌てて準備をして、車で送ってもらいました。親に。 ありがとう、お父さんお母さん。 会場には8時45分に着きました。 さて、私は何分で準備したのでしょうか(笑)。 ちゃんと、顔も洗ったし化粧もしましたよ。なんてったって、取材ですから。 でも、その15分の間にちゃんと学会場に設置されているフリーのコーヒーとパンを頂きましたが。 ありがとう、学会スタッフの皆さん。 今日は医事紛争のお話。 ここ2,3年、マスコミを賑わせている医療ミス。 「起こしてはならない」という意識と「事故は起きるもの」と言う意識が交ざってよけいややこしくなっている気がする。 「事故は起きるもの」それは、どんな仕事をしても同じ。 でも、「命」が関わる場合それは「起きるもの」ではなく「起こしてはならないもの」になる。 自動車は、あれだけ事故を起こして人を殺しているのになくならないのは「交通事故は起きるもの」と言う社会認識があるから。それは、おそらく車が普及するのと同じスピードで、社会に広がっていったんだと思う。 でも、医療は、事故を公表するようになったのは、ここ最近。 まだまだかばい合う体質が強いとはいえ、それでも報告される件数が年々増えているのは事実。 今まで「医療現場における事故」は「ないもの」として社会には(一部では分かっていたとしても)思われていたのがいきなり重大事故が出てきて、それから連鎖反応で出てくるようになったものだから、社会の方がついていけなくなってる。 医療関係者では「事故は当然起こるもの」だったため、(かなり重大な事故でない限り)「何を今更騒ぎたてるのか」というのもあるのかもしれない。 そこのギャップが、今の「医療事故報道ブーム」を起こしている気がする。 もし、最初から。「医療」というものが「神話」になる前に小さい事故から公表していれば、今の日本の医学は変わっていたのかもしれない。 事故は、少なくなっていたのかもしれない。 そう、考えたシンポジウムだった。 シンポジウムのなかでは、自らのミスで患者を志望させてしまった先生の話もあった。先生はその患者さんのことを「自らの十字架」と表現していた。 この先生なら、きっとこれからも多くの患者さんを救っていくかもしれない。 代償はあまりにも大きかったけれど、それでも代わりに得るものはちゃんとあったんだと、そう感じた。 「ミスをしないから良い先生」ではないのだと私は思う。 そりゃ、しないにこしたことはないけれど。 そして、取材後、「バトルロワイヤル」という映画を友人と見に行きました。 ここ一ヶ月「エクソシスト」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「バトルロワイヤル」と、ちょっと心が荒みそうな話ばっかり見てるなあ(笑)。 でもこの「バトルロワイヤル」 結構面白かったよ。「常識」が当てはまらなくて。 いろいろと、後味の悪いものも残るけれど、でも、その感覚が残っている自分は「正常」なのかもしれない。 なんて思う。 しかし、こういう映画って、やっぱり助かる女の子は大人しくて、誰かに守ってもらう子なんだよね(笑)。 自分は隠れて手を汚さない。 というよりも、汚せない。 それが悪いとは言わないけれど。 「生き残る」ために一生懸命に、独りでがんばる女の子はたいがいやられてしまう(笑)。 もうちょっと、そういう子にも目をむけて欲しいなあ。 なんて思うのは、自分に似ているからかもしれない(笑)。 でも、そうだな。 思ったほどは、悪くはない映画かもしれない。 確かに、かなりえげつないストーリーではあるけれど。 怖いのは、最初こそ人(生徒)が殺されるシーンを見るのはちょっと気分悪かったけれど、最後の方には殺し合いの場面を見るのに慣れてしまうこと。 いや、これじゃあ誤解されるかな。 最後まで「殺し合う」ことは嫌だし、そのシーンは気分が悪いけれど、そういうシーンを「そういうものだ」として捉えている自分。 最初こそ「人が殺される場面」に少なからず「え!?」って思うのに、最後の方になるとそれが「その映画のストーリー」として、納得していること。 一応この映画はR指定入ってるけれど、レンタルビデオでいくらでも借りれるし、いつかはテレビで放映するかもしれない。 現実とごちゃ混ぜにすることが果たして「ない」と言いきれるのかな。 いろいろめまぐるしく考えた一日でした。 そして、あの子からメールが来ていた。 直接的ではないけれど、暗に「仕事がしんどい」ということを示している内容。 それを、わかってしまう自分がやだな。 私に「大丈夫だよ」とか「がんばってね」と言って欲しいですか? それを、あなたが私に求めるのでしょうか。 やっぱり、いつまでも私を混乱させるのですね。 -
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