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地震 - 2001年02月06日(火) 今日は早めに帰ってきました。あ、今日も、かな。 上司が休みだったのだ。ゆっくりできた、と言いたいところだけれど、その上司の仕事のことで午前中はばたばた。やらなきゃいけない自分の仕事ができず、そのまま午後に突入。 何となく、ゆっくりした、というよりも中途半端にバタバタした日でした。 ただ、仕事で新聞を切り抜く仕事があったのだけれど、ゆっくりと新聞を読みながらできた。 新聞によると、インド地震がきっかけで、カシミール問題でもめていたパキスタンとの講和が実現する可能性がなきにしもあらずなのだそう。 ブラック・ジョークになるけれど、今回の地震で死者は2万人を超すと言われてる。しかし、もし「核」が抗争に持ち込まれた場合はもっと多くの人が犠牲になる。 それを「尊い犠牲」と言うのだろうか? なんにせよ、目の前で救いを求めている人に対して争いはひとまずおいて救いの手を差し伸べる。たとえば、それが自分たちが撃った銃弾で亡くなってたかもしれない人だとしても。 そう考えると、不思議な気がする。 しかし、今回も目立つのが日本政府の援助の後れ。 自衛隊の派遣も、本隊は結局派遣が中止になった。医療支援でも、現地での手続きや情報の錯綜、確認の後れで、結局1次診療は終了に近い。 それでも、まあできることはあるだろうけれど。 帰ったらやっていたNHKのクローズアップ現代もこのインドの地震を取り上げていた。 地震報道を見ていつも思うのが「活断層がどう動いたのか」が何故必要なのかということ。 災害の予防という面では役立つのかもしれないが、もう起こってしまい、そこでは苦しんでいる人がいる前で「活断層がずれたから・・・」という報道が果たしてなんの役に立つのだろうか? しかも、出演者のお偉い先生が「被災者のメンタルケアも必要ですね。阪神大震災の際も・・・」なんて言っていた。 この先生はインドで半年ほど滞在したことがあるとご自分でおっしゃっていたけれど。 「どこを見てきたのだろう?」と正直感じた。 まだ、がれきの下で苦しんでいる人がいる。十分な食料がなくておなかをすかせているたくさんの人がいる。いつ死んでもおかしくない状況で、精一杯生きようとしている人がいる。 確かに、身体だけが健康では本当に「健康」だとは言えないのかもしれない。 けれど、とりあえず、明日の食料の心配をしなくてもいい、不安だけれど、とりあえずは毛布があって、雨露をしのげる避難場所がある。 メンタル面を問題にするのは、それからなのではないだろうか? アメリカでも、日本でも、大震災の後、「メンタルケア」が問題になったのは、それなりに豊かだからではないだろうか。 こう言ったら、怒られるのかもしれないけれど、今の日本でインドのように「明日の食事」を真剣に心配することがあるのだろうか。 確かに、阪神大震災の時は、復興は絶望的なことのように感じた人がいるだろう。けれど、大半の人が、不便さや、不安や、やりきれなさや、悲しさを抱えていても、家族や、自分や、友人の明日の食料を真剣に心配し、することがあったのだろうか。 インドでは、絶対的に日常の生活からして違う。 おそらく、被災後の衣類一つ、被災者の寝所を見ても、改めて「日本は豊かだ」と感じるだろう。 そして、その後の復興のスピードを見ても。 だから、インドでメンタル面が問題になるのは、実際は阪神大震災ほどはないんじゃないのだろうか。 彼らにとって、「パニック症候群」だとか「フラッシュバック」だとかという問題よりも、「その日の食料」「その日の寝床」をどうするかが当面の深刻な問題だろうから。精神的な問題に目をむけるには、あまりにも「通常の生活」からかけ離れている気がするのだけれど。 インドは、私の好きな国の一つ。 あの国の人たちは本当に生きることを楽しんでいる、というのだろうか。 騙されるのも、損をするのも、すべて「仕方ない」というように、ある意味達観している感じを受けた。 「こういう生き方もあるんだな」 私が初めてそう感じた国でもある。 貧しかろうが、汚かろうが、いつでも笑える。本人が笑おうと思えばいつだって笑えるんだ。 私にとってインドはそんな国。 -
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