NO TITLE...望

 

 

2日目 - 2001年02月11日(日)

今日は昨日よりは早起きでした。といっても、11時ごろでしたが。

起きると、呉服屋へ養子に行った次男が来て、何か相談をしていたよう。
介護には金がかかるのだ。

私はその間父親のすぐ上の兄であるおじさんと散歩へ。
私はもともと、おじさんやおばさんなどと話すのが苦手。驚かれるけれど、結構人見知りをするのだ。
だから、このおじさんとも、あまり話しをした記憶はない。小さい頃は。
今はもう、話もするけれど、それでも口数は多い方ではない。

おじさんとは島原城の周りを一周しながら、祖母の家からお城をはさんで反対側にある武家屋敷へ行った。
島原藩は7万石。この間行った石川県の片山津あたりは加賀100万石。
規模は全然違うけれど、島原は、徒歩で観光するには適度な広さなのだ。
島原城、武家屋敷、水屋敷、ねはん像、白土湖(しらちこ)・・・。
このあたりなら、散歩がてら徒歩でOK。

車で行くなら、噴火した普賢岳の土石流で民家が埋まった跡(埋まった民家はそのまま残してある)にできた「水無し本陣」。眉山のあたりからドライブウェイができてきて、去年の8月にはまだ火砕流の跡が見えた。
黒々とした大地に緑の新芽が出てきている様子が不思議な気がした。
火山灰のはずなのに、植物は育つんだな。そう思った。
おじさんの話によると噴火後、空からヘリで植物の種をまいたのだそう。
そのままで放置しておくと、植物が何も生えていない状態の山は雨で地滑りを起こしやすくなるからなのだそう。

シーズン・オフではあるけれど、武家屋敷は結構観光客が多かった。
島原は基本的に無料での観光スポットが多い。
島原城は上に上がるのにはお金は要るけれど。

その島原城の周辺では、もう梅が咲いていた。
ピンクと、赤い梅。
「また春だなあ」
そう、感じた。

夜はお鍋。
何と、ベッドで寝たきりだった祖母は起きてベットから降りて一緒に食事。
多分、少しは良くなってきているんだろう。

介護は大変。
おばを見ているとそう思う。
周囲は「介護」させたがる。
けれど、「介護」されたくない「本人」もいる。

祖母はその1人。
本当は、トイレも、介助者がいる。風呂にだって一人では入れない。
けれど、トイレも、体を拭くのも、介護士の人にやらせようとはしない。
で、結局誰がやるかと言うと、おば。
本当は、介護士にしてもらった方がおばは楽。そのための「介護保険」でもある。
けれど、「他人の手を借りたくない」思いが、せっかく差し伸べられた手を拒む事もある。
結局、世話をするのは「介護保険」がスタートしても身内になるのかもしれない。

介護は、難しい。
医療という分野もそうだけれど、「人命」、「人」が関わり、純粋に「金銭」での換算が難しい。
「人の命はお金に換えられない」
そんな、意識がどこかにあるから。
だからこそ、医療の現場や、福祉の現場で「ボランティア」しやすい現場になる。
決してそれが悪いというわけではないけれど。

それでも、その分野での商業的価値は高い。
これから、必要になる分野だから。
けれど、ますます「介護される人」と「介護する人」そして、「介護をして欲しい人」の意識はずれてくるのかもしれない。

とにかく、祖母が元気になって良かった。
鍋を食べた後、父親と近くの屋台へラーメンを食べに。

父親と、母親、いや、「家族」とこれほど話したことは、ここ1年ほどなかったかもしれない。
理由は、ほとんど私が家に帰っていない(親が起きている時間に)から。

祖母が倒れたことは、とても驚いたし、心配もしたけれど、
私にはちょうどいいタイミングだったのかもしれない。





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