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2002年04月12日(金) そして今日も垂流す


 「春の心はのどけからまし」と詠った業平に、「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき(散るからこそ、余計桜を愛するのだ。この現世、永遠なものなどありはしないではないか)」と言った又人。
 業平は、もちろんそんなことは承知の上でしたが。

 と、昨日(4/11)の彼女の日記を読んで、彼女ならどんな返歌を詠うのだろうと思いました。

 個人サイトのテキストを読んだ時に、その先の発展のあるものが好き。それは、全く自分の中だけなのだけれど、色々と空想できる内容があると、それだけでお腹いっぱいな満足感があります。


 ここにこうして文字を並べ文章にしているのですが、今思う心の全てを表せる術はなく、ましてや技術も力量もありません。なので、時に歯痒い気持ちでモガキつつ、こんなことを言いたいのじゃないのに、なんて思いながら並べることがあります。
 それでも並べ終われば、それだけで自分一人は満足したりするものです。その時には、読み手のことを全く考えてもいないものだから、読み辛かったり(そのぐらいならまだしも)意味を取り違えて表現している時があるかもしれません。
 誰に訴えかける文章でもないのだから、それはそれで良いと思う反面、読まれることを想定していない文章は、悪食と一緒の状況で、後から嫌悪さえ覚えることがあります。

 表に出し、読まれることが前提の文章に対しての思い入れを、もう少し考えなきゃいけないのです。
 それがどうも、考える日と考えない日が交互にやってきていることが、わたし自身も後から読み返すことにで感じます。
 これが個人サイトのその日の気分を表現したものなのよ!で、片付けて たぶんこの先も垂流しは続くことでしょうが。


 普段、わたしはここに表記するのに、下書きもせずそのまま打ち込んでいます。書き出しは「今日はこれを書こう!」と思っていたとしても、中間頃からその内容は薄れ、まるで何も無かったかのように途中でフタを閉めてハイ、終わり。それだから、こうした中途半端な文章が日々垂流されていくのです。

 その時思った感情を書き出すのなら、せめて読み返すことぐらいはしようと、(少し)思いました
 特定の誰かに宛てるものであるのなら、それは尚更。読み返すこともせず、打ち出した文章のまま、相手がどういう状況で読み、内容をどう感じるかを想像もせず書いてしまうのは、良くないことだと感じました。その駄文に対して、とても丁寧な文章が返ってきたときに、自分の書いた文章と行動を恥じたと同時に、その方にとても感謝しました。



 他愛ない内容を表現する文字の羅列であっても、慈しんで並べれば、また違ったものになるかもしれませんよね。



香月七虹 |HomePage