25日が通夜で。 葬儀場に午後17時頃到着。 それから、喪主である父親がばたばたと打ち合わせをしている中。 私と急遽帰省した妹で、壇上に設置された祖父の顔を改めて見た。 変わらなかった。 時間が経っているせいか、少し俯いた首や下顎の肉にかけて、 死斑がずっと広がって濃くなっていた。 それだけ。 何か、変化があるかと思ったが、何も無い。 あたりまえか、死んでいるのだから。 変わらないね、死斑が広がってるだけだね、と妹の方を振り向いたら、 喪服の上に滴がぱたりと落ちて。 妹が泣いているのだとわかった。 それだけ。
火を絶やしてはいけないというので、 親族交代で火の番をする。 だけど、12時前くらいに一度家に帰って 風呂に入ったら、どうにもこうにも眠くて。 妹が入っている間、仮眠を取る。 泥のように眠って、それでも寝たりないので、 葬儀場に再び戻って、また寝た。
翌26日。 8時頃起床。 眠くてぼんやりしていたら、 早く着替えろといわれて慌てて喪服に着替える。 化粧をしたり買い出しに行ったりしていたら、 告別式1時間前になり、会場へ。 告別式や記帳の打ち合わせ、親族弔問客の応対で父親が動き回っている頃。 私は私でなぜか焼香客の追加をしたりなんやかんやしていた。 なぜ。 11時。告別式。 7人も和尚が来て、念仏を唱えて始まる。 一通り、読経がすんだら親族の焼香。 その後で弔問客の焼香。 叔父が香典泥棒の夢を見たというので、 時折、受け付けを見ながら、香典泥棒を警戒する。 (この人の夢は警告もしくは正夢の事が多い。) 最後、段取りを間違えて、父と祖母が最後の読経の前に 2回目の焼香ををしてしまい、会場の人が慌てて間違いを指摘していたが、 んなこたモー遅かった。 結局3回してたぞ。 最後に喪主挨拶をして、終了。 挨拶の途中で父が喉を詰まらせた。 芝居じみているようで白々しいような感じがして気持ち悪かった。
出棺の前に最後のお別れ。 私は会社を代表して弔問に来てくださった課長に挨拶。 その間に棺は開かれ、花をみんなが手向けはじめていた。 シクラメン、ゆり、菊、カーネーション。 燃やしてしまうのに、飾り立てるのどうなんだろうと、不思議だった。 大おばさんやおばさんが祖父の頬や顔をなでるので、 私もなでてみる。っていうか、触ってみる。 ドライアイスで腐敗対策してあった所為か、 触ったらぐにぐにして冷たかった。 ゴムボールみたいな感触。 結局、肉の塊にしかすぎなかった。 眼球のあたりも触ってみればよかったかもしれない。 もっともカバーがかけられていただろうけど。 大おばさんが顔のところに特大のゆりを飾ろうとしていたので 「顔が隠れちゃうって」と突っ込んだら場所をさがしてうろうろしていた。
12時。出棺。 棺に手を添えてがらがら動かして、霊柩車へ。 その後からチャーターしたバスに乗って焼き場へ。 20分ぐらい走って到着。 総大理石のでかい建物。 出たらすぐにお別れ場みたいなところへ行き、 一人ずつ安寿さんが読経する中線香を一つずつささげる。 電動機械仕掛けの台車で係りの人が棺を動かし、 いよいよ釜の中へ。 ガラスで仕切られた釜のならぶホールは人数は5人まで。 その他の人はガラスの壁の外で棺が釜の中へ入るのを見ていた。 もちろん、私も。 ガラスの向こう側で父と母と祖母と弟(喪主の長男なので)とおばが 最後を見送っていた。 係りの人がボタンを押すと、棺は上に上がり モーター音を響かせながら釜の中へ入って、扉が閉まった。 そして、焼きあがるまでの間待合室で ぞろぞろと昼食、休憩を取る。
途中で焼き場を覗きに行く。 白と灰色の大理石とガラスで覆われたそこは ひどく無機質で、思っていたような 肉や髪が焼けるにおいはまったくしなかった。 うちの名前が書かれたプレートの上に ぼんやりとルームランプのようなライトがともっていて、 こんなところでそんなムードを出してどうするんだ、と思った。 焼き場を一人で見れば少しは泣けるか?とおもったけれど、 やっぱり泣くこともなかったし、祖父を亡くしたという 感傷も沸いて来なかった。
親戚と楽しく談笑して4時ごろ。 火葬が完了した旨を放送でしり、安置室へ。 先ほどの電動式の台車の音がしたかと思ったら、 反対側の入り口からもうもうと煙が立ち込め、 からからに焼きあがって崩れ落ちた祖父の遺骨が運ばれてきた。 おそらく遺体を支えていたと思われる鉄格子のような台の上に 砕けずに残った大腿骨や頭蓋骨を退けると、 台を取り去り、 まず係りの人が砕けた骨の中からお舎利さんを探し出し、 丁寧にガーゼでくるんで納骨した。 奇麗なお舎利さんですよ、と言って見せた白い骨に、 祖母や大おばたちは「本当だ、りっぱだー」と声を上げていたが、 その白い骨に、何をそれだけ声を上げる事があるのかと 正直不思議だった。 その後、かけはしで祖母と父が骨壷に最初の一つを納骨すると、 後は一人づつ一個ずつ納骨をしていった。 私が収めたのは多分背骨。 学生時代に理科の資料集や標本で見た背骨と同じ形をしていた。 目を向ければ、太い大腿骨や砕けた骨の残骸からはいまだ白い煙が立ち昇り、 ぶすぶすと音を立てて部屋中が白く煙たかった。 ある程度納骨すると、骨壷を半紙で区切って、頭蓋骨をいれる。 またも係りの人がはしを頭蓋のひびにそってコツコツと突き刺すように突き立てると、ぱり、とまるで蓋が開くように頭蓋が割れた。 割れた瞬間に中が見えて、茶色く焦げ付いた後が見えた。 脳みそが焦げて焼き付いたんだろう。蛋白質だし。 蛋白質の塊はきっと黒く焼けて焦げ付き蒸発してしまったんだろう。 残る頭蓋もからからと乾いた音を立てながら納骨されていった。 高温で焼いたあさりの貝殻みたいだ、と思った。 最初にのこした頭蓋で蓋をするようにかぶせると、 骨壷は丁寧に蓋を閉められて布をかぶり、 あっというまに小さくまとまってしまった。 残った骨は年に2回ざんぱい供養(文字わからん)で供養されるらしい。 来た道をもう一度モーター音を響かせながら残った骨は戻っていった。 衰えることなく白煙を上げながら。
すでにひどい勢いで降り出していた雨の中、再び遺骨といっしょに葬儀場へ。 着いたらついたで休む暇もなく初七日法要へ。 坊さんと安寿さんが読経する中、 あまりにも眠くて思わず船をこいで、挙げ句居眠り。 最悪だ、この女。(爆) 坊さんの説教中も寝そうになってたし。 だめだ、こりゃ。
その後、食事をして控え室を掃除して帰宅。 卒塔婆やら骨壷やらなんやら全部つんで私が運転していった。
結論。 人間死んだら終わり。 明日は会社だー。
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