2003年05月17日(土) |
諸国浪人噺 「磨具編」 |
「不細工と話すのは慈善」。ああ拙者、久方ぶりに名言を聞いたぜよ。何のことかとおっしゃる前に、あまあまあ落ち着いて聞きなされ。
先日とある春の日に、貧乏浪人のうちに飯を食おうとるんるん遊びに行った。拙者、春風に誘われて油断したか、いやいやそんなはずもなく、いつもの通り苅る意味のこなしで、おおっと軽い身のこなしで、お銀のように、さささと上がり込んでは茶など飲んで帰ったつもりが大事件、流血流血の大惨事、とは言い過ぎか。
ことの始まりはつまるところ、拙者がこの長屋に、何故か歯磨具を忘れてきたのだという、そこからであった。だいたいそのような愛くるしくてモダーンなものを、歯磨き嫌いの拙者が携行していたのか、全く記憶にないのである。いや、断じて拙者の持ち物ではないのである。
が、しかし、その浪人宅ではその後、「ああた、ねえ、これはなあに?ねえああたったら、女を泊めたんじゃあないのかえ。ってこの二つの硝子製湯飲みで茶ぁを飲んだ形跡は。ぎゃあぎゃあぎゃあ。ながぁい髪もあるんでっしゃろ、ぎゃあああ」「断じてこれはそこもとの、いやいやわしの、磨具じゃろうて」「そちのであったら何故、このように宿泊用容れ物に入っておるのじゃ、それもこれもわらわが三十路過ぎの婆だからしたことか、許せぬ、何たる無礼じゃ。ひかえおろぉ、ぎゃああああ」「待ってあんた、それはお店のお金っ」
と、込み入った修羅場が繰り広げられたのだという報告が、今更拙者に入ったのである。これぞ、時効となった被害届(拙者が下手人[げしゅにん]らしい)である。まあしかし、こう事が大きくなってしまってはもはや、歯磨具がありやなしや、それは少しも問題ではなくなってしまう。これが世間の恐いところでありんす。
「携行用歯磨具がなければ連れ合いの発狂もなかったであろうことよ」、と血眼で迫る浪人土地持たず、に対し、拙者は断じて謝罪せず。「あいすまぬわ、ふがふが」「ふがが?」と適当な返答を繰り返していたところ、彼、ついに本性を露わにし、「おぬしが謝罪せぬとあらばわしも武士、義を尽くさねばおかみにも連れ合いにも面目が立たぬ」とついに刀と切腹用白装束を取り出した。それもその筈、この男の連れ合い、実は今回の一件で嫉妬深い本性、業ちゅもんが目覚めてしまい「一、おなごと口をきいてはならぬ。二、不細工と話すのは慈善行為に限る」等々、百以上にもわたる項目を定めた武家諸法度を作成してしもうた。やほほ。
尾張三河、摂津に美濃。武蔵に加賀、蝦夷・讃岐、大和・近江と、水戸光圀がまわるのにも1クールはかかる倭の国。なるほど世間は広し。拙者の想像を軽く超えるおなごがここにおったことよ。散らばった話をここにひとつ、くるっと風呂敷でまとめてみれば「磨具の携行には、細心の注意を払うべし」とでもなろうか。いやいや甘い。磨具などは、持ち歩くべからず。諸国巡りのこれ掟なり。ふががが。(続?)
「才能がないことを徹底的に信じられるか否か。才能がないって諦めたら、何でも出来るでしょう。その覚悟が、あるかないかですよ」。寝袋 雑魚寝 埼玉県朝霞市 プレハブ 弱さ 貧乏性。
村上隆。にんげんドキュメント。
またこいつかよ。何、奈良美智?六本木ヒルズ?ビトン?と思ってしぶしぶ見たら、凄かった。世界の村上は、「アートがなければ生きられない」と繰り返した。涙が出た。ただの秋葉ちゃんにしか見えないおじさんに、泣かされたんだ。ここでしか生きられないという若者がたくさん--といってもおそらくラッキーな30人--が、汚いプレハブで浮浪者のように眠っていた。怒鳴られていた。辞めろよ、おめえなんか、と。どうして続けてるの?とマイクを向けられた一人は、「わかんないっすね、まだ」と静かに言った。「最初の二年は、掃除しかしてなかったっすね」
芸大を出た人、成功している人、アートな人、スタイリッシュな人。彼らを「おしゃれあほうめ!」と目の敵にしていた。しかし、イメージしか見ていなかったのは、私のほうだった。そうだ、自身の心の深い闇なしには、人の心を動かすことは出来ないのだ。どんな芸術であれ。
明日テストだし、泣いてる場合じゃないけど。今日も勇気をもらって、私はまた頑張るのだと思う。ここでしか生きられないと、勘違いしている場所があるからかなあ、と思う。
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