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2003年05月28日(水) MMD

再びアレルギー薬服用。列車にて昏睡。崖から落ちたようなぎくり、が数回。こうして拙者の体も蝕まれ、ホルモン剤による女体化が進行するものと思われる。甚だ不自然極まれり。

本日も松尾と町田についてばかり思いを巡らすMMディ。やはりホルモン剤の影響多。前者の真顔、後者の笑顔に癒しと高揚感を得たり。鼻血ブー。これぞまさにドラッグ顔といえよう。薬も酒も甘味も要らぬ。二人を撮ったカラー写真集さえどこかが出してくれさえすれば。言わずもがな、ここまで来たら拙者が出す。

白○書房と扶○社の問題が一言違わず同じであった。順番が違うたら、などとひとりごちてみようとも運命は変わらず。業に従いて生きる。白○から出す。

町田町蔵の演奏会は「死ねない自殺者の舞台」と言われるとか言われないとか。彼が演じたという「阿部薫」の名をインターネット上にて捜索するも、写真は雲隠れ。どれほどの生き写しなのであろうか。見んといてえな、と言われると見てしまうのが人情。刃傷松の廊下を人情松の廊下と思いて生きること十余年。キッチュをキャッチュと思いて人に語り伝えること二十年。何を隠そうそれは拙者のことじゃ。

やっぱりやめとこうかいな、とこうかいねえ、と悩んだ挙げ句に結局筒井康隆『小説のゆくえ』(中央公論社)を購入。その前に『カルチュラルスタディーズ入門』『実践カルチュラルスタディーズ』(ちくま新書)。筒井氏のに限らず、三島賞選考委員の過去の選評を遡って読むはいとおかし。筒井氏の文体は小生、と改まって始まったものをおれおれ、と言い出すパンキッシュさを含む。書くうちに変化する文体は気持ちが良く、こちらも加速してゆける。と、偉い先生に向けてなんだかんだ書いて非常に恐縮。

文学を理解するには社会を理解せねばならず、社会学を学ぶうちに教育学や政治学にも、哲学にまで手を伸ばす必要に迫られる。何処まで行ったらあの本やこの雑誌言っている意味が分かるようになるのだろう。「頭のいい振りをしたまえ」と仰る方あり。振りが愛嬌だけでできる時代は過ぎた。拙者ももはや二十一。「分からないから教えて欲しい」と頼むことは、恥ずかしきことであるのかもしれぬ。高校生のうら若き乙女時代に何を学ぶかなど決められるはずもなかったと今更感じて。知識を抽象化することが教育だ、という意味が最近少し分かる。

夕食はカリー。不味い菓子。固い煎餅をかじりてタイプ。明日こそはきちんと生き、きちんと書く。本日は垂れ流して尻切れとんぼ。きゃっほう。


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