明け方に地震があった。揺れたのは頭の隅で知っていたが目は覚めなかった。
(私の眠りは本当に深い。自慢ではないが、「眠れない」という悩みだけは持ったことがない。高校時代も大学時代も、授業中に本気の睡眠をして疲れを癒していた効率的な人生であった。)
しばらくして、電話が鳴った。寝ぼけていたのでとれなかった。着信履歴を見ると、友人からだ。午前5時前。こんな時間にかかってくるはずがないなだね、まちがいだろうにゃにゃぽぽ、と寝ぼけた頭ながらも判断した私は再び布団をかぶって眠りについた。
2分後、再び電話が鳴る。
今度はとってみる。やはり友人だった。
何だろう、私がホームページにラブリーのことなどあほくさい日記(ラブリーの件は本当に笑えないのであほくさくないんだけど)を書いているからダメ出しをされるのだろうか、などと邪推していると、きゃつはひとこと「地震、大丈夫だった?」という。
「うん。寝てた」 「寝てた? あんなにすごい揺れだったのに? もう、死ぬと思ったよ。ああ、もう自分は死ぬんだと思った」 「はあ、で、用件は?」
どうやら、私の安否確認のためにわざわざ電話をくれたらしい。私以外にも、友人という友人に「生きてるか?」と連絡しているそうだ。私は半分寝ぼけたままその律儀さ、誠実さに礼を言い、それじゃあこれから何が起こるか分からないから、待ち合わせ場所を決めよう、と提案をした。
「そうだなー、じゃあ馬場にしよっか」 「馬場じゃあ、遠いよ。それに、地震が来たらすぐに会えるかは分からないから、はりがみを貼るとか、伝達手段を決めないと。」 「いいアイデアだね。じゃあ早稲田大学に貼ろう。文キャンの、門の横のところにしよう」
そんなわけで私たちは、大きな天災があった場合には早稲田の文学部キャンパスの門のところに、「ダイガクノトショカンにヒナン バナナカレ」などと書いて貼っておくことにしました。皆さんもどうぞ。
と、なぜこんなことをわざわざ書いたかと言えば、この一連のできごとは、私の中ですべて寝ぼけつつ行われたため、地震も含めてフィクションだったような、そんな感覚があったからなのです。
8時に起床して洗面所に行くと、コンタクト溶液や入浴剤のボトルが倒れて、流しに落ちていた。現実の揺れ、現実の裂け目、現実の向こう側。
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