この日記のRSSは下記のURLになります。
http://www.enpitu.ne.jp/tool/rdf.cgi?id=6723

2005年06月19日(日) 向田邦子『父の詫び状』

武蔵小杉まで、「時代を切り開くまなざし-木村伊兵衛写真賞の30年- 1975 - 2005」を見に行く。以前、初めて森山大道の写真展に行った場所だ。東横線にことこと揺られる。電車の窓から、多摩川が見える。たくさんの人が運動をしている。



電車の中で向田邦子『父の詫び状』を夢中になって読む。「おすすめだから、今度貸してあげる」と言ってくれた人がいて、でもその人は忙しくてしばらく会えなさそうなので我慢できずに買ってしまった。夢中になりすぎて、うっかり一駅乗り過ごす。ずっと浸かっていたいなあ、と思わせる平易で温かい文章。卵や薩摩揚げやご不浄(トイレ)が頻出する生活の一折一折を具体的に、丁寧になぞっている。



人を殺したいと思ったこともなく、死にたいと思いつめた覚えもない。魂が宙に飛ぶほどの幸福も、人を呪う不幸も味わわず、平々凡々の半生のせいか、わが卵の歴史も、ご覧の通り月並みである。だが、卵はその時々の暮しの、小さな喜怒哀楽の隣りに、いつもひっそりと脇役をつとめていたような気がする。(「卵とわたし」より)



筆者が自分のことを書くくだりは珍しい。私はこのページに折り目を付けた。



木村伊兵衛賞の写真展は、木村自身の作品が目当てで行った。パリのカラー写真。約30年ぶりの公開だという。カフェの前で人々(フランス人)が踊っている場面を、何枚も何枚も写してある。きっと、見ていてとても愉快だったのだろうと想像した。こちらまでいい気分になった。



乗り過ごしたおかげで、行きの電車で向田邦子が終わったから、帰りは佐野眞一『カリスマ-中内功とダイエーの「戦後」-』。全く違う気持ちで読み始めたが、気付いたら二つとも「戦争」と「戦後」の話だった。向田邦子の慎ましさとは裏腹に、こっちのダイエー会長のどん欲ぶりはすごいな、と呆れる。先日の公的資金投入劇をあまり真面目に見ていなかった自分を反省しながら読んだ。



家に帰ってご飯を炊く間、今日渋谷に寄って買ってきた高野文子『棒がいっぽん』を開く。窓際の蚊取り線香の匂いがいい。もうすぐ夏至だとラジオがいう。



今週もこうして本を読んで、休日の一日が終わった。


 < 過去  INDEX  未来 >


バナナカレーログ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加