先週の日曜日、母が泊まりに来た。「畑で採れたピーマンで肉詰め作ったから、今から持ってくね」と言う。埼玉の実家からうちまでは1時間半かかる。
布団に寝っ転がりながら、「お母さんは仕事が大変で嫌になったこととかないの?」と尋ねる。私が生まれて専業主婦になる前、彼女が富士銀行に勤めていたことは知っている。しかし、これまで仕事の話などしたことがなかった。
詳しく聞いてみると、それなりに紆余曲折の仕事人生だったことを知る。
高校を卒業して富士銀行に就職、6年ほど勤めた後に、洋裁に本腰を入れたくて退職したそうだ。「夜に洋裁学校に通っていたんだけど、仕事があるとどうしても休みがちになるし、ついていけなくなるのが嫌でね。ちょっと本腰入れて昼間に学校に行こうと思ったのよね」。学校の費用は、貯金でまかなったという。
その後、結婚することが決まったため実家のある大宮から30分もかかる今の家(埼玉北部のど田舎)に引っ越してくる。「洋裁学校は、そこで辞めたの。だいたい、パターンを起こすくらいまでの基礎は身に付いたし。そこで洋裁の仕事に就こうって、なぜだかそこまで頭が回らなくて。若かったのね」。
結婚後に働いたのは、町の農協。ここでの仕事が原因で、偏頭痛になった。母がかつて頭痛持ちで、仕事を辞めたらケロリと治った話は何度か聞いたことがあった。「暇なの。とにかく暇で、あと、人になじめなかった。みんな田舎のおじちゃん、っていう感じの人しかいなくて、『そんなに一生懸命仕事しなくてもいいよ』っていう雰囲気が耐えられなかった。銀行と180度違った」。母は真面目な性格だし、今の家事のこなし方を見ていると、おそらく仕事に対して完璧にキチっとやるタイプだと思う。(怠惰で、目の前のことを先延ばしにする私とは正反対だ。)
農協は結局1年で辞め、今度は町の小さな家電メーカーの経理になる。銀行の勤務経験と、簿記を持っていたので重宝された。「ただいいようにこき使われただけだけどね。当時はまだ、女の人の給料が当然のように男性より安かったし」。30歳。偏頭痛は続くが、「また辞めるのね」と言われるのが悔しくて、6年勤め上げた。このとき会社に出入りしていた税理士事務所の人に「うちで働かないか」と引き抜かれる。
「税理士事務所は遠くてね。20分かけて電車に乗って、また駅から30分自転車よ。お金は結構もらえたけど、経理からお茶くみ、掃除まで、ぜーんぶやらされて。『もう困ります、辞めます』って言っても『もうちょっと頼むよ』って引き留められてた」。勤めたのは2年ほど。ようやく退職した理由は、出産だった。
波瀾万丈な転職人生、偏頭痛人生である。母は私が生まれてからはずっと専業主婦だ。でも、退屈しているところは見たことがない。いつも「忙しい忙しい」と言って、朝のウォーキング、ラジオ体操(20年以上継続中)や庭の植木の手入れ、家庭菜園の世話などをしている。掃除が趣味で、家の中にはちりひとつ残さない。
「れいちゃんが生まれて、もうぜーんぶ人生が変わったの。子どもはかわいいよ。ほんとにかわいい」。紆余曲折を経て大切なものを見つけたからなのか、今の母はけっこう楽しそうだ。
仕事というのは何だろうか。ふと考える。分からない。子どもでも待ってみることにする。
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