2005年08月14日(日) |
夏がずっと続けばいい |
7月のまとめもしないまま、お盆に入ってしまった。会社はカレンダー通りなので、土日だけが休みだ。複雑な思いを抱えずに生きている。嫌な気持ちになったらすぐにそれを消せる技を身につけた。
休みの日の昼間はずっと甲子園。高校生が年下になってもう6年が経った。ラジオは、「子ども科学電話相談」を聞く。『働きマン』を買って読んだ。編集者の話なので面白い。
誰かと長い間付き合う(恋愛ということではなく)と、得ることが多いというのが持論だ。ことあるごとに遊んでいて、ぐだぐだ色々なことを話してきたつもりでいても、5年後、10年後に初めて知ることってあるんじゃないだろうか。
久しぶりに前の彼と話して、バドミントン部の話を聞いたとき、そう思った。彼は中学の時バドミントン部で、同じ学年に男子がひとりもいなかったそうだ。女子の中にぽつんと一人、そこまでして打ち込むほど意志が強いタイプにも思えなかったので「どうしてバドミントン部に入ったの?」と聞いてみた。そうしたら、お父さんがバドミントン選手だったという話が出てきた。若い頃は国体で上位の、かなり強い選手だったらしい。そんな、家庭では一大事であるはずの話を、たまたま聞かずにここまで来た。
だからどうということではない。でも、人間関係に「飽きた」とはあまり思わない。私にはまだまだ話すことがあるし聞くべきことがあると思っている。
それに人は変化していくから、断片断片を見るよりも、長期のスパンで眺めた方がきっと面白い。自分のことを振り返っても、大学の時は本当に情緒不安定だったと思う。困るとすぐ人に電話していた。恋愛ついてはその傾向が顕著で、わがままも弱いところも情緒不安定も、全部分かって欲しいし受け止めて欲しい、と思っていた。受け止めるとは、具体的にどういうことだったのだろう。「分かるよ」と言ってくれる人がとても好きだった。
きっと失っているものもあるけれど、知っていることも増えている。先日、首都高速から東京タワーを見た。柄にもなく、「ドライブ」に連れていってもらったのではしゃいだ。オレンジ色の灯りが、とても近くにある。きれいだった。思春期には見逃していた類の。
夏休みの通勤電車で、親子連れをよく見る。「夏休みだねえ」と温かく見守っている内に、ひとつのことに気付いた。彼らはみな「ポケモンスタンプラリー」でJRの駅を巡り歩いているらしい。「次は? つだぬまでしょ? 次?次?」子どもは駅が近づくたびにそわそわして、降りようとする。あれに付き合うのは楽しそうだ、と思う。
こうしてつらつら書いていると、考えていることが無数にあることに気付く。つらつらだらだらというのは、一番書いてはいけない書き方で、おそらく誰も読んでくれない。でも、まとまって起承転結のついた文章ばかりだと、気がおかしくなりそうになるのだ。
そうだ、友人の引っ越しを手伝った。本を片づけながら山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』を読んだ。引っ越し手伝い先の人の家で、セックスしている二人の話を読んでいるのも変な話だ。面白かった。
作家になれるかどうかのいくつかの条件のうち、「セックスを書けるか」というのは一つ、大きく横たわる問題ではないだろうか。私はセックスが書けない(誰も聞いてないと思うけど)。別に潔癖性だからということではない。あまりにも本質的なこと過ぎて、文章がそれで終わってしまう気がする。桃を食べる時に、芯をとるでしょう。まわり中をきれいに切り取って、食べる。ああいう表現が自分には合っていると思う。芯のまわりをぐるっと切って、一口大に分けて、食べる。芯にがりっと歯を付けるのは、あまりに忍びない。
頭が良くなりたい。勉強はけっこうできたほうの筈なのに、社会人になってからほとんどただの阿呆のまま生きている気がする。踊る阿呆と見る阿呆、ああ阿波踊りにいきたいな。夏がずっと続けばいい。
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