2006年07月02日(日) |
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 |
日曜日の午後、高田馬場のフジヤでコーヒーを頼んでいっきに読んだ。久しぶりに「何かが変わった」と思える小説。「何かが変わる」傑作に出会えるのはいつも久しぶりだ。それ以外のすべてが消費。消費して、消費して、消費して、たまにものすごく運よく何かを得られる。これが日常生活なのだと最近は少し分かった。
社会のしくみが分かっていない。24歳にして、ようやくそのことに気付く。本を読んでも新聞を読んでも、イマイチ核心に触れていない感じがする原因だ。私はいつも、森を見ずに、木も見ずに、枝だけを見て生きている気がする。森を知っていて、木を知っていて、枝を見るのはいい。ただ「枝でいいや」と思ってしまうのはとても怖いと思う。
社会のしくみを知るには、難しい学術書を読めばいいのだろうか。歴史を学べばいいのだろうか。手探りで、少し途方に暮れる。小説を読んですぐ、小手先だけの下のような文章を書いたが、自分に嫌気がさしたので途中でやめた。核心に触れようとすると、何を書いていいのかよく分からなくなるのだ。
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1995年に地下鉄サリン事件と阪神大震災が起こり、村上春樹は小説の書き方を変えた。彼ははっきりと言う。「小説家は社会にコミットしなければならない」。私は昔の村上春樹も、「コミットメント宣言」以降の彼も好きである。ただ、当時彼が『約束された場所で』『アンダーグラウンド』で行った信者、被害者へのインタビューが多くの人に批判された理由が今では少し分かる。『風の歌を聴け』の頃の彼のままでは、1995年の2つの「人災」は書けなかったのか。それが少し悲しい。
石牟礼道子は社会派の小説家だと言われる。しかし彼女の書いたものを読むと、「水俣病」という彼女を語る際に外せないキーワードは背後に置き去られる。読者の前にはその文章の紡ぎ出す美しいものが「手触り」とともに立ち上がって、キラキラと輝く。そしてそれが水俣病についての文章だからではなく、ただただあまりに美しい言葉であるという理由ゆえに、私は涙を流してしまう。「石牟礼道子ってどんな作家?」と聞かれたら、なるべく「水俣病の人」と答えたくはない。しかし、「水俣病訴訟50年」と新聞が伝える事実よりも、小説は私に問題の大きさを伝えてくれるのだ。
カズオ・イシグロの作品に触れたのは初めてだった。『わたしを離さないで』。この小説を読んだ時、作風も扱う題材も全く違うのに、なぜか頭に浮かんだのは石牟礼道子の『苦海浄土』だった。たぶんこの連想はほとんど思いつきで、偉い人が見たら全く脈絡のないものなのだが、忘れないように書いておきたいと感じた。
人(少なくとも私)は他人の喜びや苦しみを、一人称を通してしか理解できない。だが、喜びや悲しみを「一人称に落とし込む」作業は、才能のある作家にしかできない。だからこそ、「社会にコミットする」のが小説家の役割なのだろう。
『わたしを離さないで』の物語は、キャシーというひとりの女性の独白を通して語られる。子どもの頃に自分が育った「施設」のこと、大人になってからの「介護人」という仕事のこと。一人称が語るため、「客観的事実」は少しづつしか明らかにならない。感情が押さえられた冷静な筆致から徐々に徐々に暴かれることの「真相」に驚きながら、引き込まれるように読んだ。
小説は、ある恐ろしい社会問題について書いている。私はこの社会問題を知っていた。しかし、本当は何も知らなかったのだと、読後に気付いた。
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