橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2000年12月23日(土) 腐ったリンゴ

 昨日終業式が終わり、学校は今日から冬休みに入る。と書くと、先生方は休みが長くていいですねと言われそうだが、それは全くの誤解である。正規の授業がなくなるというだけで、学校自体は活動していて、補充や追試、部活動なども行われている。教員は決して休日ではないのだ。とくに担任は多くの成績不良の生徒を抱えて、その指導に神経を使わなければならない。

 さらに私はここにきて、窃盗事件を起こした特別指導の生徒を4人も抱えて、とても忙しくなった。昨日の午後は、リーダー格のA子の家に学年主任のE先生と一緒に家庭訪問をした。お互いに昼食抜きで学校を飛び出したので、途中のコンビニでおにぎりを買い、私は助手席で食べたが、E先生などはおにぎりを食べながらの片手運転である。

 A子はクラスでも一番悪い意味で存在感のある生徒で、彼女は同じクラスのB子、C子、D子を巻き込んで、今度の一連の事件を巻き起こした。中学の頃から相当荒れていて、問題行動を繰り返していたようである。この生徒については職員会議で、進路変更を勧告することが決まっていた。いわば生徒の首を切りに行くわけで、教員をしていて一番にいやな役割である。しかしこれは担任の勤めだから、逃げるわけには行かない。

 両親と本人を前にして、E先生がその申し渡しをすると、母親は泣き出し、本人は涙を浮かべていた。「何とかなりませんか。条件付きで、学校に置いてもらえませんか」と父親はあくまで食い下がってくる。これまでこうした事件を起こして退学を免れた前例がないと言うこと、学校へ来ても本人は大変気まずい思いをしなければならず、とうてい学校を続けられる状況ではないことを話して、どうにか両親に納得してもらうしかなかった。

 A子と一番親しく、いつも行動をともにしていたのがB子で、とうぜんB子もA子と同様の厳罰に処すべしという声が指導部で多数出ていたが、B子といい、C子、D子も、A子に比べるとはるかに穏和な普通の生徒で、A子の強力なリーダーシップの前に、心ならずも共犯者になってしまったという面がある。会議では最終的にこの点が考慮されて、残りの3人についてはもう一度学校に戻るチャンスを与えようと言うことになった。この点についても、両親やA子本人の理解を得なければならない。

「腐ったリンゴ」という言葉がある。箱の中に一個でも腐ったリンゴがあると、たちまち他のリンゴにも伝染して箱全体が腐ってしまうというたとえである。学級崩壊や学校崩壊も、こうしたほんの一個の腐ったリンゴからはじまる場合が少なくない。数年前の長女の中学校の荒れのすさまじさを以前に日記で紹介したが、その場合も引き金になったのは転校生してきた一人の茶髪の女生徒だった。その女生徒の学校や教師をなめ切った野放図な振る舞いが、あっという間に学校中に伝染して、秩序を失わせたのである。

 今回のA子の場合もこれに近い状況である。A子さえいなければ、B子たちも何も問題を起こさなかっただろう。腐りかけたリンゴは独特の甘美な匂いをはなつ。そしてそれは人の良心を麻痺させ、人々を悪徳と堕落の甘美さへと誘う。A子もそうした腐ったリンゴの反抗的で虚無的な匂いをクラスの中でまき散らしていた。授業中私語をしたり、お菓子を食べたり、学校をなめ切っていて、注意した教師には無視をするかくってかかり、教師の指導に素直に従おうとしない、とても教師泣かせの生徒だった。

 しかし今回、A子に引導を渡しながら、母親や本人の涙を見ているうちに、私自身いつか目頭が熱くなり、涙が止まらなくなった。担任として無念の涙だとも言えるが、それだけではなかった。ある記憶が脳裏に蘇ったからだ。

 まだ事件が発覚する随分前に、私は何度か彼女を呼びだして個人指導をしていた。私にも同じ年の娘がいる。ピアスやアイシャドウをして厚化粧の妖婦のような彼女を見ながら、「お前を見ていると、先生とてもかなしくなる」と言った。「おまえに関係ないだろう」と彼女。そのつっぱねた顔を見ているうちに、私の目にふと涙が浮かんだ。そのとき、彼女がけたたましく笑い出した。「先生ったら、アハハハ・・・」彼女は大声で笑いながら、しかし目は笑っていなかった。彼女も又目にいっぱい涙を浮かべていた。

 彼女は腐ったリンゴかも知れない。しかし、芯まで腐っているわけではない。それが証拠に、彼女は今回の事件についても最後は涙を流しながら、すべてを正直に話した。昨日私たちが訪問したときも、まだ思い出したことがあるといって、メモを取りだし話してくれた。そして他の3人については、「私が引き込んでしまって悪かった。ぜんぶ自分がやりました」と思いやりを見せた。

 正直言ってA子という問題児がクラスからいなくなることは、他の生徒への影響を考えると、たいへんありがたいことである。たぶんA子自身にとってもその方がいいのだろう。「お父さんやお母さんには悪いけど、私ははもう学校へは戻れない。働きながら、定時制へ通うことにしたい」と、最後に彼女は憑き物が落ちたような爽やかな笑顔で私たちに言った。彼女のその言葉で、父親も折れた。そして、これまでの重苦しい雰囲気とは違った明るさの中で、彼女の将来について両親や本人と前向きの話をすることができた。

 A子の家を出た後、先方の家の事情もあり、しばらく時間をおいて、B子の家には夜の7時半過ぎに指導部長と一緒に出かけた。父親と本人に在学の意志をたしかめ、指導措置を言い渡し、すべてが終わって、家に帰ってきたのは9時過ぎ。それから風呂に浸かり、そのまま床の中に倒れ込んだ。一分後には、意識を失っていた。こうして長い一日がようやく終わった。




橋本裕 |MAILHomePage

My追加