橋本裕の日記
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2000年12月27日(水) あこがれの余生

 もうじき新しい年を迎えるわけだが、なんだか年が改まるという感激はない。しかし昨夜は11時過ぎまでかかって年賀状をかいた。今日はそれを学校に行きがてら、郵便局に持っていこうと思う。

 ところで、年賀状を書いている最中に、クラスのN君から電話が入り、「先生、ごめんなさい。アルバイト、ばれました」と言う。店員のアルバイトをしていたところ、他の先生に見つかったと言うことで、すでに指導部から連絡もあったという。この電話で、私はまたまた正月気分が遠のいてしまった。

 すでに家庭謹慎をしている3人の生徒に、N君が加わり、ずいぶん気の重い正月を迎えることになりそうである。正月早々、4人の生徒の家を訪問しなければならないと思うと、年賀状を書く気力が萎えてしまった。それでも、「まあ、家出、行方不明よりましか」と、やはり1年生を担任していた2年前の正月を思い出して、何とか気を取り直して年賀状を仕上げた。

 教員になったとき、「50歳までがんばろう」と考えた。なぜ50歳かと言うと、そのころは勤続20年で年金がついたからである。50歳になったら教員を止めて、どこかの山里に質素な庵を結んで、自給自足しながら、清貧の生活を楽しみたい。自然を友とし、俳句や短歌や小説を作り、科学と哲学と思想を極め、ときには水彩画でも描きながら、余生をできる限り簡素に過ごしたいと考えていた。

 そして現在、50歳。残念なことにいまだにあくせく教員という職業にしがみついている。法律が改正されて、25年務めなければ年金がつかなくなった。したがって、少なくともあと3年は、この苦役を甘受しなければならない。家のローンや子供の教育費を考えると、55歳まではがんばらなければならないだろう。その5年間が時にはいくらか重荷に感じられるようになってきた。

 しかしものは考えようである。希望はなにも未来にあるわけではない。現在の生活の中にあるはずである。現在の生活を楽しめない人間は、やはり未来の生活も楽しめないのだろう。来るべき第二の人生を明るくするためにも、現在の日々の生活をできるかぎり充実させ、楽しものにする工夫を忘れてはいけないと思う。


橋本裕 |MAILHomePage

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