橋本裕の日記
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ヘンリー・D・ソローが「森の生活」の中で、生きていくために必要なものを生産するだけだったら、人間は年に数週間も働けば事足りると書いている。それでは残りの何百日間を何をあくせく働いているのかと言えば、ただ余分なものを作り出すために精力をすり減らしているに過ぎないという。
余分なものとは、例えばダイアの指輪などの贅沢品だろう。ミサイルや地雷といった武器もそうだし、公害をまき散らして走る車や、原子力発電所や多くのレジャー施設もそうかもしれない。それから今はやりの携帯電話やパソコン、こうしたものは私たちの人生を本当に豊かにすることに役立っているのか、疑問である。
「未開な時代の人間の生活にあったあの単純で飾り気のない状態は、少なくとも人間を自然の中にとけ込ませるという良い面をもっていた。食事をし、睡眠をとって生気をとりもどすと、また旅のことを考えるのだ。この世界で、いわばテントに住み、谷を抜け、草原を横切り、山の頂に登ったのだ。ところが! 人間は自分の道具の道具になってしまった。空腹なときは自分で勝手に果物をとってた者が農民になり、雨宿りで木の下に立っていたものがハウスキーパーになった。もう夜だけキャンプするということはなくなって、天を忘れてしまった」
「この国で一番興味深い家は、画家が知っているように、ふつう貧しい人たちが住んでいる見栄のない控えめな丸太小屋や農家だ。それが絵になっているのは、たんなる外見的な特徴のせいではなく、それを殻としている人たちの生活のせいなのだ。都市の郊外の家も、同じように飾り気をとり、人の想像力にいい感じを与え、家の様式に妙な効果を求めないようになれば、きっと興味深いものになると思う」
ソローのこの本を毎日噛みしめるようにして読んでいる。そして考えることは、私たちは何というつまらない活動に人生を浪費し、つまらぬ財産や知識の収得のために精力をすり減らしているのだろうという嘆息である。ソローが引用しているチャップマンの警句を、心にとどめておきたい。
まちがった人間社会 地上の贅沢のために 天上のたのしみのすべてがうすれていく
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