橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2000年12月30日(土) ソローと「森の生活」

「夏の朝など、いつものように沐浴をすませたあと、日の出から昼まで松やヒッコリーやウルシに囲まれ、乱されることにない孤独と静寂の中で、ぼくは日当たりのいい戸口にすわり、物思いにふけっていた。周囲では鳥がうたったり、音もなく家を飛びぬけていった。そうして西側の窓にさしこんでくる夕日や、遠くの街道をゆく旅人の馬車の音で、時の流れに気付くのだった」

「森の生活」の作者ソローは1817年、アメリカ・ボストンの近くの町、コンコードに生まれた。1837年 20歳でハーバード大学を卒業したあと、コンコードの小学校の教師に赴任する。しかし、学校の方針(ムチ打ち)に抵抗したソローは、わずか2週間で教師をやめた。その後、全人教育を目的とした私塾を兄と共同で始めたが、兄が破傷風で死んでアカデミーは閉鎖された。

 やがてソローはウォールデンの池のほとりに小屋を建て、1845年7月4日から1847年9月6日まで2年2か月間独りで住むことになる。28歳から30歳の間だ。大学時代からラルフ・エマソンに傾倒していた彼は、実際にその思想を実践すべく自然の懐に飛び込んでいった。自然の中でできるだけ質素な生活を営み、己の精神世界を深めようと思ったのだ。

「ぼくは5年以上も自分の労働だけで生活してきて、1年に6週間ほど労働すればすべての生活費がまかなえることがわかったのだった。夏のほとんどと冬はすべての時間を勉強にあてた。・・・ぼくはぼくなりに好きなものがあり、特に自由を大切にし、つらい生活をしてもうまくやっていけるので、自分の時間を犠牲にしてまで豪華なカーペットや素晴らしい家具、上等な料理やギリシャ式、あるいはゴシック式といった家を手に入れたいとは思わなかった」

 彼がウォールデンの池のほとりに丸太小屋を建てるのに要した費用は28ドルちょっとで、これは大学時代の年間の部屋代と同じくらいだという。彼は家に鍵をかけなかったので、誰でも自由に出入りし、彼のものを自由に使った。

「昼も夜も、何日か家を空けるときも、ドアに鍵を掛けたことがなかった。散歩に出て疲れた人はぼくの家の炉端で休み、暖をとり、読書の好きな人はテーブルにのっている何冊かの本を楽しみ、好奇心のある人はクローゼットを開けてどんな食事の残りがあるか、どんな食事が出そうか見ていた。あらゆる階層の人たちがこの湖にやってきたけど、こうしたことでひどい迷惑を被ることもなく、ホーマーの小さな一冊の本以外はなにもなくならなかった」

 森の中でのソローの生活は、質素そのもので、生活に必要なわずかばかりの労働のあと、ありあまる時間を余暇として精神的なものの向上にあてた。しかし、彼はいわゆる世間嫌いの変人ではなく、彼の心は常に社会に開かれていた。彼のたてた手作りの森の小屋には、近所の猟師や町の友人や詩人たちが訪れて、人生や文学について自由に語り合ったという。

 そうした中で、奴隷制度に反対して逃亡奴隷を助けたり、人頭税を払わず、逮捕されたりもしている。自然を愛したソローは、また自然の中で身をさらして生きる人々の友でもあった。彼はアメリカ・インディアンの自然を尊ぶ敬虔で知恵のある生き方について、常に深い共感と敬意を表していたという。

Direct your eye sight inward, and you'll find A thousand regions in your mind Yet undiscovered. Travel them, and be Expert in home-cosmography.

「あなたの視線をあなたの内面に向けなさい。そうすれば、あなたの心の中に無数の世界を見つけることになるでしょう。まだ、発見されていない世界を見つけることになるでしょう。その世界を旅しなさい。そして、あなたの世界の内なる達人になりなさい」

 彼が森を出たのは、森の生活の中で自分の精神世界を深め、自己の価値を発見した彼がその思想を語るべく、詩人として世の中に立とうと考えたからである。彼は森を出てからもコンコードの町で質素な生活を続け、「森の生活」の回想記をこつこつと書き続けた。そして、7年後の1854年、37歳の彼は第7稿まで改稿した原稿を決定稿として出版した。しかしこの作品は世間の注目を集めることもなく、むしろ失敗作と見なされ、8年後、ソローは45歳で無名のまま世を去る。

 20世紀になって、トルストイが彼を発見し、評価してから、「森の生活」は世界の人々の心に響く古典として読み継がれることになる。そして今では環境問題に関心を持つ人々、精神生活の充実を目指してシンプルに生きることに価値をおく全世界の人々にとって、彼は最も魅力的な先駆的実践者であり、彼のこの作品は彼らの精神的なバイブルとなっている。

<文献>
http://www.cnc.chukyo-u.ac.jp/users/egakkai/eibungaku18/kino18.htm
「自己探求への誘い ――Walden 解釈の一つの試み」(木下 恭子)

http://homepage1.nifty.com/~midori-room/thoreau.html
「ソローの年譜」

http://www.sasayama.or.jp/column/link_2.htm
「田園散策のナチュラリスト H・D・ソロー」

http://www.d1.dion.ne.jp/~thitoshi/index.html
「北米における環境倫理思想と教育−人間と環境とのよりよい関係を求めて−」 (高橋 仁)


橋本裕 |MAILHomePage

My追加