橋本裕の日記
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あと数時間で2000年が終わり、21世紀がはじまる。年号や暦は人間がこしらえたものだから、大騒ぎするほどのことではないが、それでも100年に一度のことだと言われれば、気持が高ぶる。
1950年生まれの私は、半世紀を生きたことになる。20世紀の前半が革命と戦争の時代だとすれば、後半は私たち日本人にとって、ひとまず平和と繁栄の時代だといえよう。私は後半の平穏な時代に生をうけ、高度経済成長の恩恵のなかで、しあわせに生きてきた。
もっともこの幸運がいつまで続くか、モラルを失い、責任感の欠如した日本の政治家や官僚、経済界のありさまを眺めていると不安になる。いやむしろ、暗澹とした思いになって、こんな詩を、この記念すべき日の日記に書き付けたくなる。
・・・・・・・・・ 亡びよ! ・・・・・・・・・・・
日本は興りつつあるのか、それとも滅びつつあるのか わが愛する祖国は祝福の中にあるのか、それとも呪詛の中にか 興りつつあると私は信じた、祝福の中にあると私は思うた しかし実際この国に正義を愛し公道を行おうとする政治家のただ一人もいない 真理そのものをしたうたましいのごときは草むらをわけても見当たらない 青年は永遠を忘れて鶏のように地上をあさり 乙女は真珠を踏みつける豚よりも愚かな恥ずべきことをする 日本はたしかに滅びつつある 我が愛する祖国の名は遠からず地上から拭われるであろう ワニが東から来てこれを呑むであろう 亡びよ! この汚れたる処女の国、この意気地なき青年の国! この真理を愛することを知らぬ獣と虫けらの国よ、亡びよ!
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これは内村鑑三の高弟だった藤井武(ふじいたけし)が1930年に発表した詩である。彼は東京帝国大学を卒業後、内務省の官僚になった超エリートだが、その地位と名誉をあっさり捨てて退官し、一介のキリスト教伝道者になった。そして42歳のときにこの詩を書いて生涯を終えた。
戦前、この詩を講演会で紹介した矢内原忠雄(やはり内村の弟子で、のちの東大総長)は東京帝国大学教授の職を追われた。藤井や矢内原は当時の日本に絶望していた。そして「亡ぶ」ことによってしか、日本は新しく生まれ変われないと思ったのに違いない。私も又、彼らに同情しながら、この詩をここに記しておく。亡びの中にしか希望が見いだせない不幸な時代の兆しを、今の日本に感じずにいられないからだ。
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