橋本裕の日記
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2001年01月03日(水) 善のイデアと幸福

 論語に「子曰く、学びて時に之を習う。またよろこばしからずや。朋、遠方より来るあり。また楽しからずや」とある。歳をとるにつれて、論語や徒然草、万葉集といった古典のすばらしさが身に染みて分かってきた。そして以前読んだ本を、もう一度読み返して、その英知に満ちた世界にしばし心を遊ばせていたくなる。

 そうしたわけで今日は高校時代に習ったギリシアの哲人たちの話を書いてみたいと思う。とくに昔勉強して感激したことがあるプラトンの「イデア論」について書いてみたい。そして今日もなお輝きを失わないどころか、この混迷する時代にあって、ますますその真価を発揮するプラトン哲学のすばらしさを、再確認してみたいと思う。

 紀元前399年、老ソクラテスが、「悪事をまげて善事とし、国家の信じる神々を認めず新しい神を信じて青年たちを腐敗させた」(ソクラテスの弁明)として処刑された。このとき28歳だったプラトンは、尊敬していた師が愛する祖国の手によって殺されたことに驚き、「確かなものがなにもない」という絶望に突き落とされた。

 彼はアテネを去り、イタリアやシシリアを放浪し、「いずれの国々も、その状態は目を覆うばかりのひどい状態にある。国家や社会、および個人における正と不正を識別するのは、法や制度ではなく、哲学的英知に裏付けされた人間の良心に他ならない。」(国家)という考えにたどり着く。つまり、彼は知と徳の合一を唱えたソクラテスの英知の正しさをこの放浪の旅のなかで再確認した。

 この信念を得て故国に戻ったプラトンは、アテネ郊外のアカデメイアの森に私塾を作り、青年たちの知性と感性の教育に従事する。そして80歳で死ぬまでに、「ソクラテスの弁明」をはじめとする膨大な著作を書いた。彼のそれらの著作の中を流れる根本の思想が、西洋哲学(人類智)の原点ともいうべき、「イデア論」である。

 現実の世界は、変化し移り変わる現象の世界であり、多くの誤りや不完全なもの、悪があふれている。しかし、知性や理性によって知ることができる永遠に真実な世界がある。彼はこの永遠で不滅な理想の世界を「イデア界」と呼んだ。そして彼のアカデメイアでは、このイデア界の認識のための「知性と感性の育成」が目指された。

 こうしてプラトンはソクラテスの死という絶望を起点にして、「一体この世に真理はあるのだろうか」「もの事の正しい認識はいかにして可能か」ということをつきつめて考え、「イデア論」にたどりついたわけだ。そこで、次ぎにこの「イデア論」について、もう少し具体的に書いてみよう。

 たとえば、私たちがある図形を見て、それが「三角形」だと分かるのは、あらかじめ私たちが三角形についての概念をもっているからだ。「一直線上にない三点を直線で結んでできる図形が三角形である」という概念がなければ、眼前の図形も三角形としては認識されない。プラトンのいうイデアは、一応この概念のことだと考えればよい。彼は個々のものは不完全だが、こうした概念は永遠で、神のように完全な存在であると考え、これを「イデア」と呼んだ。

 ところでイデアにも上位のものと下位のものがある。たとえば二等辺三角形のイデアは三角形のイデアから見れば下位ということになる。こうしてプラトンは認識を秩序立て、体系化する方法を手に入れた。人がものごとを「正しく」認識できるのは、彼がイデアの体系化に成功し、「正しい認識のシステム」を完成したときだ。そして、このイデアの体系化の中で、最も上位に置くべき至高のイデアをプラトンは「善のイデア」だとした。

 プラトンはソクラテスと同様に、「善く生きること」が人生の至上の価値だと考えた。人間にとって一番大切なことは、「何が善であるか」を知ることであり、その為には「善のイデア」を知り、これにしたがって生きなければならない。彼のアカデミアにおける教育の実践課題も、当然ながらこの至高なる「善のイデア」を認識することでなければならなかった。

 このアカデミアの生徒で、プラトンの愛弟子がアリストテレスだった。アリストテレスはプラトンが亡くなるまで20年間、彼の人生の3分の1近くをそこでプラトンに師事した。そして、プラトンの死後、36歳のアリストテレスはアテネを離れ、5年間あちらこちらを遍歴し、マケドニアに移った。そこで彼の生徒となったフィリッポス二世の息子が、後のアレキサンダー大王である。

 アレキサンダーの死後、アリストテレスはアテネに戻る。そして師プラトンと同じように、「リュケイオン」という学校を創るが、紀元前323年、アテネを中心にしたギリシャの諸都市で反マケドニアの気運が高まり、身の危険を感じたアリストテレスは母の故郷であるカルキスに逃れた。そして翌年、62歳で生涯を終えた。

 アリストテレスは師プラトンの「イデア論」を批判的に継承した。プラトンにあって現実界にある個々のものはイデアの影でしかなかったが、アリストテレスはこの現実界こそ実在の世界だと考えた。そしてイデア(形相)の役割は、それそれのもの(質料)に個物としての特徴(特殊性)を与えることだと考えた。

 イデアは個物から遊離して存在するものではなく、個物に内在し、個物を個物たらしめる規範(類型)であるととらえたのである。すなわちイデアからその神秘性を奪い、「イデア論」をより現実的で実用的な認識のシステムとして完成させたといえよう。

 彼はプラトンが説くように、理性によって「何が善であるか」を知ることも大切だが、さらに重要なのはこれを実践して実際に「善い人」として生きることだと考えた。人間は理性にかなった「正しい生活」をすることで、「善い人」になり、同時に幸福に生きることができる。

 そして「幸福」こそ人生の最大目標であり、最高善であると考えた。「幸福になるために、善の何であるかをわきまえよ。そしてこれを日々の生活の中で実践し、つねに善き人であれ」(ニコマコス倫理学)これが彼の言いたかった眼目だろう。



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