橋本裕の日記
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世界の賢人といえば、ソクラテス、釈迦、孔子であろうか。あるいは別格な存在として、イエス・キリストを付け加えてもいいだろう。ところで彼らに共通していることの一つに、「彼らは書かなかった」ということがある。なぜ、書かなかったのか。
nojiさんから紹介されて読んだ「デリダ」(現代思想の冒険者たち28,高橋哲哉著、講談社)のなかにその答えがあった。「パイドロス」というプラトンの著作の中で、ソクラテスは友人のパイドロスに「なぜ書物を書かないのか」と質問されて、その訳をはっきり語っていた。
ソクラテスはまずエジプトに伝わる神話の話から始める。発明の神テムトが太陽神タムスのところへいき、「自分の発明した文字を人々に学ばせてやって下さい。そうすれば、もの覚えがよくなり、知恵がたかまるでしょう」と進言した。ところが、タムスはテムトの申し出を拒んで、こう言った。
「人々が文字を学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされ、忘れっぽい性質がうえつけられる。書いたものを信頼して、自分の力によって内から思い出すことをしなくなるからだ。なにも知らないでいながら、見かけだけは非常な博識家だと見られ、しかも本人は知者であるという自惚れだけが発達して、付き合いにくい人間となるにちがいない」
ソクラテスはエジプトに伝わるこの神話を紹介したあと、次のように続ける。 「書かれた言葉は最も優れたものでさえ、ものを知っている人々に想起の便をはかるだけだ。魂のなかにほんとうの意味で書き込まれる言葉、ただそういう言葉の中にのみ、明瞭で、完全で、真剣な愛情に値するものがある。パイドロスよ、そう考えることができる人に、私たちはなりたいものだね」
私のように、知ったかぶりの知識を書き散らしている人間には、とても痛い言葉だ。紙に書かれた言葉よりも、魂の中に書かれた言葉を大切にしなければならないというのは、けだし正論だろう。ソクラテスは書物をあまり信用していなかったことがわかる。書物は人の魂を高めることはしないで、むしろ堕落させることの方が多いと考えていたようだ。
それではプラトンはどう考えていたのだろう。たぶん彼も師プラトンの考えを受け継いでいたに違いない。プラトンが友人にあてた書簡で、「私はこれまで決してそれらの問題については書物を著さなかったし、プラトンの書物なるものは何一つ存在せず、また、将来も存在しないでしょう」と語っている。また別の書簡では、「この手紙は、いままず何度でも読み、あとは焼き捨てて下さい」と指示までしている。
現代哲学を代表する碩学のホワイトヘッドによれば「全西洋哲学史はプラトン哲学の注釈の歴史」らしい。もしプラトンが師ソクラテスの教えを守って書物を著さなかったら、哲学の歴史だけではなく、人類の歴史もずいぶん違っていたにちがいない。
太陽神モノスやソクラテスは書物の氾濫する今の世の中をどう見るだろう。「言わないこっちゃない。テムトなんかに魂を売り渡してどうするんだ。人間がみんな浅薄になったじゃないか」と、顔をしかめ、傍らでプラトンは苦笑いしているかもしれない。
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