橋本裕の日記
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2001年01月11日(木) 「カオス」の世界

『荘子』(内篇7「応帝王篇」)に,有名な「渾沌(混沌)」の説話がある。

「南海の帝王と北海の帝王が中央の帝王である混沌に大層なもてなしを受けたので,二人は混沌の恩義に報いる相談をした。『人間の身体には誰にでも7つの孔があって、それで見たり聞いたり食べたりしているが混沌にはそれがない。恩返しに孔を空けてあげよう』といって、1日に1つづつ空けていったら7日目に混沌は死んでしまった」

混沌は今流の言葉でいえば「カオス」であろう。ギリシャ神話では、天地ができあがって最初に生まれたのが「カオス」らしい。旧約聖書では、天地創造以前の状態をカオスと呼んでいる。ギリシャ語の「カオス」と中国語の「混沌」、何やら音韻が似ているが、両者とも「もやもやとかごちゃごちゃ」という擬音語で、物事が未分化の状態で区別がつかない有様を言い、物事の始めを表す言葉だそうである。

 カオスについての考察はアリストテレスがしているが、同じ時期(紀元前300年頃)中国に荘子があらわれて、しかも同じような事を考えているところが面白い。ただアリストテレスの場合はカオスから秩序へという流れが目立つが、荘子の場合は、上の「混沌」の話でも分かるように、むしろ「混沌」を尊ぶ姿勢が感じられる。人為をしりぞけ、天然自然に生きることが人の道だと荘子は考えた。

「カオス」は現代の数学や科学の主要な研究課題になっている。自然現象や社会現象は実際「カオス」そのものと言っていいだろう。これに目鼻を付け、何とか人為的にコントロールしようとしても、相手はなかなかてごわい。そう易々と人間に目鼻を付けられて、おとなしく降参するやわな相手とは思えない。形勢が不利とみれば、死んだ振りくらいするだろうが、また不死身のように蘇り、人為のあさはかさを嘲笑するに違いない。

 この厄介な相手を敵に回すのではなしに、いかにこれを味方にして、上手に付き合っていくか、そうした方向に考え方を転換した方がよい。「カオス」は自然の生命の別名でもある。「カオス」との共生は、自然との共生でもある。「カオス」を「秩序」によって滅ぼそうとするのではなく、「カオス」の豊穣さをさらにひきだすような「秩序」を創造して、私たちの命そのものをさらに発展させる、そうした知恵のある生き方を心がけたいものである。結局、「カオス」を滅ぼして、亡びるのは、人間自身なのである。


橋本裕 |MAILHomePage

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