橋本裕の日記
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2001年01月13日(土) 滅び行く文明の世界

 朝日新聞に連載中の「新世紀を描く」という特集に、2005年愛知万博のプロジェクトチームリーダーで建築家の隅研吾(すみけんご)さんが、「建築型文明と決別しよう」という主張をのべている。彼によると近代を支配し、とくに21世紀にピークを迎えたのは「建築型文明」であり、これは「すべての問題を建築を建てることで解決しようとする文明である」という。

「幸せな家庭を築くためには、家という建物を築くことが必要であり、幸せな国家を築くためにはまず立派な公共施設が必要だと考えられたのである。・・・しかし、今や建築は少しも人々を幸せにしないことに人々は気付いてしまったのである。自然の方がはるかに心を癒してくれるし、IT(情報技術)は建築から得られるものとは比較にならないくらいの豊かな情報と体験を与えてくれる」

 私たちが文明と呼ぶものは、ほとんどがこの「建築型文明」であった。そして20世紀に入ってこの文明はピークを迎えた。その象徴が摩天楼に代表される高層ビル群であろう。高く大きく豪華な建築を建てることで、人々は自らの価値やアイデンティティーを確かめ、自らの文明を自画自賛してきた。しかし、ここへきてようやく、そうした物質至上主義の文明の幻想が破れ、その空虚さが認識されるようになってきた。

 ITの出現はこの傾向を加速する。たとえば電子政府ができれば、東京都庁のような巨大な役所はまるで必要なくなる。ノートパソコン一台に図書館のすべての蔵書の情報を納めることもやがて可能になる。そうすれば本棚に囲まれた立派な書斎も、巨大な図書館や美術館も必要でなくなるだろう。サイバースペースは巨大な情報を蓄積することが出来るが、その物理的スペースはほとんど無に等しいからだ。

 建築型文化にとってかわるのは、人と人の心の交流に価値を置く情報型文化ということになる。それはコンクリートと鉄、ガラスやプラスチックで出来た巨大な建物をつくることよりも、最小限の物質的資源を活用して精神世界のゆたかさを目指す精神文化である。だから巨大な建築群を必要としない。むしろ物質的には簡素な方向性を目指すのではないだろうか。

 未来の文明社会の人々は粗末な丸太小屋に住み、地球環境に配慮してほんの少しだけ生産活動をするだけで、あとは友人たちや家族との交流をたのしみ、自然を友とし、余暇を芸術や学問、スポーツなどに打ち込んで、それぞれの個性を磨くことで、生き生きとした人生を楽しむことだろう。

 そうした知恵のある時代が到来するよう、私たちはさっそく価値観を転換しなければならない。なぜなら、もう私たちに残されている時間はあまりないからだ。私たちが今、考えを変えなければ、私たちのわずか数世代のあとの人類は、廃墟のようにそびえる高層建築を眺めながら、汚染され環境の毒素に犯されて、絶望の中で息絶えるしかないだろう。

 すでに悪い兆しは充分ある。現状を放置すれば、カタストロフィーは近い将来必ずやってくる。私たちは今こそ亡びつつある文明に決別して、新しい精神文化の世界へと一歩を踏み出すべきときなのだろう。
 


橋本裕 |MAILHomePage

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