橋本裕の日記
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2001年01月16日(火) ほんとうの豊かさを求めて

 日本の公共事業は景気対策の一貫として行われている。アメリカもニューディール政策が有名だが、今日、公共事業を景気対策、失業対策で行う国はない。それでは財政が破綻し、健全な経済の発展も阻害されるからだ。

 しかし日本は景気対策のかけ声のもと、万博を計画したり、誰も使わない空港や港湾整備、農道を作り続ける。コンクリート使用量は、国土が20倍以上もあるアメリカよりも多く、川や海は死に絶え、環境破壊が進んでいる。毎年100万人の奇形児・流産があり、中高年を中心に突然死が20万人。世界で一番汚染されているのが日本の土壌である。こうした統計をみていると背筋が寒くなる。

 さらにこれが政・財・官の癒着と利権を生み、日本の政治を絶望的な状況に陥れている。公共事業は必要だが、これまでのような景気対策を目的にしたやり方は改めなければならない。失業対策をかくれみのにして、政治家や業者が国民の税金を使ってうまい汁を吸うのをこれ以上許すわけにはいかない。

 それでは景気が悪くなり、失業者が溢れるではないかと言う人がいるが、失業対策など簡単なことで、労働時間を減らせばすむことだ。単純計算では5パーセントの失業率をなくすには、労働時間を5パーセント減らすだけでよい。週休2日制を完全実施するだけでお釣りが来る。給料が5パーセント減ったとしても、無駄な税金を払わなくてすむ。国の財政も改善し、癒着がなくなって政治家のモラルも向上し、やがて経済も正常化するだろう。長い目で見れば、経済的にもマイナスにはならない。

 そもそも日本で失業者が増え続けているのは何故だろう。政治や経済の舵取りの失敗による景気の失速よりも、もっと本質的なことがある。失業の増加は、物やサービスが豊かに行き渡って、供給が過剰になっているためである。そして供給が過剰になったのは不況で需要が落ち込んだ為ではなくて、私たちの暮らしが豊かになって、ものが周囲にあふれかえり、需要の伸びが供給力についていけなくなったからだ。

 もっと本質を言えば、科学技術の進歩によって、生産性が著しく向上したことが原因である。たとえば、この30年間に日本の生産性はおよそ10倍になった。これはつまり、同じ人間が同じ労働時間で、10倍の製品を製造できるようになったということである。需要の方も10倍伸びていれば問題はないが、人間の欲望は無限だと言っても、それほどの発展性はない。日本はこの30年間、外国に洪水のように輸出することで、帳尻を合わせてきたわけだが、もうそろこんな他人迷惑なやりかたは国際社会で通用しなくなってきている。

 IT革命によって、生産性は飛躍的に高まるとおもわれる。生産性が2倍になれば、供給力が2倍になる。しかし需要が変わらなければ、労働者の半分は失業しなければならない。現に産業革命期のイギリスで同じようなことが起こり、紡績機械を打ち壊すラッダイト運動が起こった。科学技術の進歩が必ずしも人々を幸福にしないということが、こうしたことからも理解できる。

 私が高校時代に読んだバートランド・ラッセルの本に、「生産性が2倍になったら、労働時間を半分にして、余暇をたのしむべきだ」と書いてあった。私はそのとき、イギリスのような豊かな社会だから言えることだと思ったが、今の日本の状況であれば賛成したい。社会を安定させ、人間が豊かな精神生活を楽しむためにも、ワークシェアリングの考え方を押し進めるべきだと思う。そして、地球をこれ以上汚さないためも、もう古い生産至上主義のモダニズムの発想は捨てなければならない。


橋本裕 |MAILHomePage

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