橋本裕の日記
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2001年01月18日(木) |
<おろち>の棲む世界 |
私たちが目にしている様々なカタチの中には、とくに人目をひく特別なカタチがある。そして日本人はそのようなカタチを何者かの象徴としての<かたち>ととらえ、その<かたち>に宿る何者かを、<神>だと考えた。たとえば姿の良い山があったりすると、それを神の宿る<かたち>として崇める。そして川や岩や一本の大木をもご神体として崇める。またイノシシやヘビなどの動物もその生命力に威力を感じ、これを<神>と考えた。
さらに、<かたち>にはそのような自然物としての<かたち>だけではなく、人間が造形した<かたち>がある。たとえば、エジプトのミイラの棺や日本の古墳などそうである。それらは死者を弔うために考案された特別な聖なる<かたち>だと考えられる。
お正月に飾る注連縄や鏡餅もそうした聖なる<かたち>の一つだろう。それでは何故それらの人工物が聖なる<かたち>として通用しているのだろう。その理由の一つに、それがある<聖なるもの>の姿を象徴していることがあげられる。
たとえば鏡餅の場合を考えてみよう。鏡餅のカガミとは何か。実はカガミというのはヘビの古語だそうで、たとえば岐阜県に各務ヶ原(かがみがはら)という地名があるが、これは「ヘビの原」という意味である。田圃に立つ案山子のカカも、もともとはヘビの意味で、ヘビはイタチやモグラなど田圃を荒らす動物から田を守ってくれる大切な存在だった。
話を鏡餅に戻すと、たしかに餅を重ねた姿はとぐろを巻いたヘビの姿をしている。蛇は日本の古代信仰では神として恐れられ信仰されていた。その名残が鏡餅に残っているのだと考えられる。このばあい、カガミモチの聖性はその独特な<かたち>に由来するわけである。そしてその<かたち>の原型が<へび>だということになる。
それでは、日本の古墳の<かたち>はどこから由来したのか。たとえば大和に三輪山がある。そして、この山の麓に日本最古の前方後円墳の箸墓古墳がある。卑弥呼の墓ではないかなどともいわれているが、日本書紀には次のような記述がある。
「倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)は、孝霊天皇の皇女として生まれ、長じて大物主神の妻となった。夫である大物主神は昼間姿が見えず、夜にだけ訪れる。姫は夫に姿を見せてほしいと頼んだ。すると翌日、櫛笥(くしの箱)に入った小さな蛇となって現れた。それを見て姫が驚いた為、大物主命は恥をかかされたと言って三輪山に隠れてしまった。姫は後悔して陰部を箸で突いて死んだ。だから人々は姫を葬ったこの墓を箸墓と呼ぶようになった」
民俗学者の吉野裕子さんによると、箸墓をその嚆矢とする日本の前方後円墳の<かたち>も、蛇の姿をかたどったものだそである。つまり円墳が蛇の頭で、残りが蛇のしっぽらしい。
「箸墓の名称、及び、その形状はいずれも蛇を暗示するものとして受けとられる。三輪山の山麓に横たわる箸墓は、日本最古の前方後円墳として知られる。墓は死者を祖霊に合一させる、或いは祖神の国に新生させる擬似母胎と古代日本人は考えていたと推測される」(三輪山と信仰神奈備山考、以下の引用も同じ)
「そのような彼らにとって、墓こそはもっとも祖神を彷彿とさせる形に築かれるべきものであったに相違ない。・・・遺体の永眠する墓が、蛇を象って造型される。遺体、棺の場合がエジプト、墓の場合が日本であって、両者に共通するものは死における祖霊への回帰である」
「柄鏡型といわれる箸墓。この日本最古の前方後円墳こそ一身を犠牲にして祖神に仕えた蛇巫の墓としてもっともふさわしい形と名称を備えたものではなかったろうか。人々はその死を悲しみ傷(いた)んだが、その想いは想像を絶する巨大な墓の造営となり、ついには「昼は人つくり、夜は神が造った」という神人合力の伝承を生むに至ったのである」
「前方後円墳のそもそもの由来については、考古学界で種々の説が唱えられているが、私は蛇の頭と、それにつづく尾の造型を推理する。もちろん後方の円部が「頭」。前方の長方形の部分が「尾」である。また、水は、蛇の生死にかかわる一大事の脱皮に欠かせぬところのものである。箸墓をはじめ、全国の前方後円墳には必ず豊かな水をたたえた濠がめぐらされているのも、それを意識してのことであろう」
さらに同じく吉野裕子さんによると、三輪山の三輪という名前も、ヘビがとぐろを巻いた姿からきたそうだ。つまり、<かたち>に神が宿ると考えた日本人が、山の形に蛇の姿を見て、これをご神体と考え、またその墓の造形として、蛇の<かたち>を選んだということらしい。蛇は現世においても、来世においても、さかんな生命力の象徴であり、またそのカタチの独特さから、<神>として崇拝するに十分な生き物だったのだろう。
今回はいかにして<かたち>の中に<神>が宿るかを考えてみた。もともと人間に威力を感じさせる存在があり、そうした存在のもつ<かたち>を人間は<神>がやどるものとして崇めた。古代日本人にとって、そうした存在の一つが<蛇>であり、その蛇の<かたち>が聖なる存在として崇められ事になったと考えられる。鏡餅や注連縄、案山子、前方後円墳、これらの背後に神聖なもの=蛇の<かたち>が伏在していた。
ところで、エジプトのピラミッドは何の象徴なのだろう。私はこれは彼らがかってその麓で暮らしていた、聖なる山の象徴ではないかと考えているが、確信があるわけではない。もう少し勉強してみようと思っている。
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