橋本裕の日記
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今日はセンター入試第一日目である。今日は外国語や数学の試験があるということで、高校三年生の長女も受験に出かけた。今年の出願者は57万人だという。さいわい愛知県地方は天候はまずまずのようだ。全国的にも落ち着いているのではないだろうか。
長女は中学生の時から看護婦になりたいと言っていた。だから高校も普通科ではなく、県立高校の看護科に進んだが、病院実習などしているうちに、是非大学へ行きたいと言い出した。大学へ行けば看護婦だけではなく、保健婦などの資格も取れるし、職業選択の幅が広がる。合唱部で親しかった先輩が去年大学に進学したことも発憤材料になったようだ。
進学については、私は本人の意思を尊重することにしている。ただし、20歳を過ぎたら、経済的援助はあてにするなと言ってある。援助しようにも私たちに経済的余裕がない。奨学金やアルバイトで自活することを考えてもらうしかない。
私たち夫婦は大学を出ている。しかし、娘たちには「大学へ行け」と言ったことはない。行きたければ行っていいが、そのかわり援助できるのは20歳までだよと言い続けている。これは長女だけにではなく、次女にも同じだ。
アメリカでは高校を卒業したら、親元を離れるのが当たり前らしい。本人は奨学金やアルバイトで自活し、親が学費や生活費の仕送りなどしない。ところがどうしたわけか、日本ではおおかたの親が学費や生活の面倒まで見ている。20歳を過ぎて、これでは情けない。
そうは言っても、文化の違いや制度の違いがある。たとえば奨学金制度を例に取ると、日本の場合、親の収入で制限がもうけてある。これなどあきらかに、奨学金は本人ではなく、親が借りて、親が返すものだという通念に立っている。何でもアメリカ並でよい訳ではないが、日本も考え方や制度を変えるべき時かも知れない。
ところで大学時代の私は、学生運動に関わったあげく2年も留年して、家から仕送りがカットになった。それで家庭教師に加え、朝刊と夕刊の新聞配達をして自活をした。友人と共同でお寺の安い間借りを見つけ、自炊生活もした。そうしたなかで、社会の厳しい現実を知り、真剣に勉強もするようになった。
新聞配達をするようになって、留年もしなくなったし、大学院に合格する学力も着いた。それよりもなによりも、社会人として自立することへの自信と勇気を与えられたことが大きい。そこで、私は今の若者に言いたい。一刻も早く親から自立する勇気を持てと。親などあてにせず、自分の力で運命を切り開く力を養ってほしい。
同時に、私たち親の世代も自分に厳しくなろう。老後を子供たちに依存しょうなどと甘ったれるな。独立した個人として、死ぬ間際まで自立して生きていく覚悟を持つべきだ。さらに大切なことがある。これ以上環境を破壊するな。モラルを低下させるな。国民一人あたり500万円以上になる公の借金をどうにかしろ。若い世代に負の遺産を押しつけて恥じない大人ばかりでは、若者たちもやる気を失う。若者が生き生きとしていない国に、未来はない。
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