橋本裕の日記
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分裂症の人はその行動様式に、「諸事物のもとに静かに逗留することができない」、「現実からかけ離れた実現不可能な理想の追求」(ビンスヴァンガー「精神分裂病」)などの特徴があるそうだ。そして共通しているのは、「私が私でない」という自己不確実性だそうである。
戦前の日本人は富国強兵のかけ声のもとに滅私奉公に励んだ。戦後は経済発展という空虚な観念にとりつかれて、朝から晩まであくせくと動き回り、バブルが弾けた後は、失業の不安に脅えながら働いている。子供は進学競争に勝ち抜くために小学生から塾通い。狭い国土の自然を破壊してできた道路を、車は排気ガスをまき散らし我が物顔に疾走して、至る所で事故を起こしている。
一方で、コマーシャリズムは嵐のように我々を襲い、我々を無力な消費者とする。もし未開社会の人が、現代人の多忙で騒々しいばかりでこれという理念や志を持たない生活を見たら、恐らく分裂病のれっきとした患者だと思うに違いない。
現代人のあくせくした生活の背後には、不安が潜んでいるようだ。この不安は一言で言えば「自己を持たないことの不安」ではないだろうか。この自己不在の不安を忘れるために、現代人は忙しく動き回る。忙しくしているから心が亡びるのではなくて、心が亡びているから忙しくせざるを得ないのだろう。
自己を持たない人は、それを埋め合わせるために、やたらと地位や名誉や権力を求め、それらの勲章によって、空っぽの自分を飾ろうとする。自己に自信のない人間は、他者によって認められなければ不安で仕方がない。しかし自己の存在を他者の手に委ねることはさらなる不安をもたらす。彼はこの不安に駆られて、二十日鼠のように、この他者性の回路の囚人労働に専念せざるを得なくなる。
病的な特徴は日本という国にもうかがえる。戦前の「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」などという非現実的なスローガンは、「現実からかけ離れた実現不可能な理想」の追求であり、「諸事物のもとに静かに逗留することが出来ない」この国の有様は、国としてのアイデンティティーの脆弱さを示している。
戦後になってもこのアイデンティティーのなさは変わらない。はっきりとした自己像をもたず、これという〈こころざし〉も持ちあわせていない日本は、いつまでたっても落ち着きのなさを脱しきれない。私達の国は分裂病を病んでいるのだろうか。もしそうなら、どんなに見かけは繁栄していても、そのような国の人々が幸せなわけはない。
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