橋本裕の日記
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人間存在の在り方について、もっとも鋭い洞察を示したのはキルケゴールだろう。ハイデガーもサルトルもその実存主義哲学の基本思想をキルケゴールに負っている。もし、私が世界で一番恐ろしい本を一冊あげよと言われたら、迷うことなく、キルケゴールの「死に至る病」をあげるだろう。冒頭にこんな文章がある。
「人間は精神である。精神とは何であろうか。精神とは自己である。自己とは何であるか。自己とは自己自身に関わるひとつの関係である。いいかえればこの関係のうちには、関係がそれ自身にかかわるということが含まれている。したがって自己は、ただの関係ではなくて、関係がそれ自身にかかわることである」
ここでキルケゴールは「自己とは自己自身にかかわる一つの関係」だと明確に述べている。これを図式で表せば次のようになる。
自己 ―― (自己) ―― 自己 (自己性の回路) ここで注意しなければならないのは、自己とは何か一つの強固な実体ではないということだ。キルケゴールがいみじくも指摘したように、それはまさしく一つの関係である。つまり自己が自己であるのは他者としての自己(他己)を介してであり、まさに自己とは他者である自己によって自己となる自己閉鎖的な不断の関係でしかない。
キルケゴールはこうした自己閉鎖的な自己は、必然的に魂を病み、絶望の状態に置かれざるを得ないと言う。ある者はこの自己の牢獄に絶望して自己から逃れようとする。またある者は絶望して自己自身であろうとするが、その場合でも絶望者がめざす自己は、彼のありのままの自己ではない。つまりいずれの場合でも彼は今の自分自身に耐えられなくて何か他の自己になろうともがいているのだ。
しかしこういう人達はまだ救いがある。なぜなら彼等には「絶望しているが故に、絶望から救われる」という唯一の可能性が残されているからだ。世の中には絶望から無縁のように見え、本人自身もそう考えながら、実は自己について深く絶望している人達がいる。
「医者が、完全に健康な人間などおそらく一人もいないというのと同様に、人間というものをほんとうに知っている人なら、少しも絶望していない人間など、その内心に動揺、軋轢、不安といったものを宿していない人間など一人もいないと言うに違いない。……絶望していることを意識していないということ、それこそが絶望のひとつの形態に過ぎない。……この病が、それにかかっている当人自身でさえ知らないようなふうに人間の内に隠れていることが出来る」
キルケゴールによれば、人間が何かについて絶望するとき、「彼は彼自身について絶望している」のであり、「その人を絶望に至らしめるようなものがあらわれるやいなや、その同じ瞬間に、彼が過去の全生涯を通じて絶望していたということ」が顕になる。自己の対する絶望は「死に至る病」である。そして人間はこの病を得て、死に至るべく運命づけられている。
私は大学時代にこの本を読んで、ほんとうに怖い本だと思ったが、今読み返してみても、やはり怖い本であることに変わりはない。しかし、人間が本当に自分自身に出会い、自分という牢獄の外に出ようと思ったら、この自己という恐怖を心底経験してみる必要があるのかも知れない。
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