橋本裕の日記
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2001年02月02日(金) 閉鎖的な日本の大学

 テレビのインタービューで、外国人学者が日本の大学に正規の職を持つ外国人教員の数は70人にも満たないと言っていた。一方アメリカの中規模の大学に一校だけでも、これ以上の外国人が職を得ているという。

 世界はグローバル化しつつある。学問や科学技術の世界もそうである。そうした中で、日本の大学は今も旧態依然とした封建制度のなかにある。日本という狭い枠の中で通用する学問ばかりが幅を利かせている現状は変えていかなければならない。

 日本の大学の純潔主義こそ、いまや最大のガンである。これでは日本は世界から取り残される。これを改革するためには、日本の大学の教員は1/3は外国人にするという法律を作ってはどうだろう。もちろん、授業も英語で行う。そうすることで、真に国際的な教養人にふさわしい人材が育つ環境ができる。

 アメリカの大学に留学している人のWeb日記を読んでいると、日本とは随分違った生き生きとした授業風景が見えてくる。学期末、最後の授業を終えると、生徒たちは教師に惜しみない拍手を送る。とくにすぐれた授業をした教師の場合は立ち上がって拍手喝采するらしい。

 また、アメリカの大学で教えていて、帰国して日本の国立大学(大阪大学)の教授になった人(中谷 巌)がアメリカの大学生はとにかく目立ちたがりやで、われがちに質問をぶつけてきて、教師の力量をためそうとする。いきおい授業も真剣勝負にならざるをえない。日本に帰ってきて、授業風景のあまりに違うのに驚いたという。

 これは京大の数学科の教授がかいていることだが、京大では数学の授業はほとんど出席をとらないことになっているという。なぜなら出席をとると、そのことだけのために余計なやる気のない生徒が出てきて、私語がふえる。集中力を必要とする数学の授業で、こうした雑音は困るので、出席はとらないのだという。そのかわり、理科系の学生でありながら、複素数や三角関数もろくに理解しないまま卒業していく生徒が続出している状態らしい。(「分数のできない大学生」より)

 日本の大学では学生の学力低下が言われている。たしかに学生の学習意欲のなさには恐るべき状態にあるが、大学自身のありかたにも問題がある。旧態依然としたカビ臭い講義ではただでさえ低調な学生たちの学習意欲を掻き立てることは出来ない。

 日本の学生の多くは大学へ学問をしに通うのではなく、ただ卒業免状を貰うために通っているだけだった。だから、最初から講義には期待しない。なるべく楽をして、免状さえもらえれば、あとはそれが社会へのパスポートとして役に立つ。社会も又、彼が大学で何を学んだかを問題にしなかった。しかし、こうした状況が続く中で、日本社会はすっかり活力を失った。

 大学が豊かな知的生産と教育の現場として機能するようになれば、今日本が置かれている閉塞状況も改善されるのではないだろうか。政治や経済の国際舞台で、外国人と対等に議論し、お互いに切磋琢磨することで、私たち日本人も21世紀に生きるに相応しい教養を身につけることができる。そのためにも、大学を世界に開放して、日本人の頭脳を世界の新風にさらさなければならない。


橋本裕 |MAILHomePage

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