橋本裕の日記
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万葉集の歌はどれもみずみずしい青春の香りを持っている。たとえば、次の歌。
あしひきの山のしずくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしずくに (巻2 107)
山の中に身を隠して恋人を待っているうちに、すっかり夜露に濡れてしまった青年が、やっと現れた乙女に送った歌らしい。逢い引き相手の乙女の名は石川郎女(いしかわのいつらめ)である。彼女も又、すかさず歌を返す。
我を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしずくにならましものを (巻2 108)
私は山のしずくになりたい。そして愛しいあなたの肌をぬらしてあげたい。こんなに機転のきいた、しかも情熱的な歌を返されたら、青年はもう怒るわけにはいかない。ただもう愛しさが募り、すぐにも恋人の肩を抱いて、熱い口づけをしたくなるに違いない。
青年の名前は大津皇子である。天武天皇の皇子で、文武に秀でた当代随一の貴公子。彼は人望があり、父の天武天皇からばかりでなく、誰からも愛された。しかしその人気が命取りになった。
686年9月に天武が死んだあと、一ヶ月もしないうちに彼の人気を恐れた皇后(のちの持統天皇)によって、彼は謀反の罪を着せられて刑場に送られた。皇后は自分の息子の草壁皇子だけが可愛かった。
百伝う磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ (巻3 413)
これは大津皇子の辞世の歌である。磐余の池は今の桜井市池尻のあたりだという。皇子の后、山辺皇女は黒髪を振り乱し、裸足で刑場に走り、自ら夫に殉じて命を絶ったと「日本書記」は伝えている。
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