橋本裕の日記
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フタリシズカという花は、4,5月ごろ、ひっそりと山蔭に咲く。白い花穂が二つ、寄り添うように咲くので、この名がある。私の故郷の福井の山にも咲いていて、山仕事の合間、谷水で喉を潤した後、一休みした足下につつましく咲いていたのを覚えている。この花の古名は「つぎね」といい、万葉集にも歌われている。
つぎねふ 山背道を 人夫(ひとつま)の 馬より行くに 己夫(おのつま)し 徒歩より行けば 見るごとに 音のみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる まぞみ鏡に 蜻蛉領巾(あきつひれ) 負ひ並め持ちて 馬買へ我が背 (巻13 3314)
フタリシズカの咲く山城への道を、男たちは馬に乗って行くのに、自分の夫は、馬がないので歩いて通っている。そんな夫の様子を見ていると辛くてならない。「私の母の形見の鏡と領巾(ひれ)を持っていき、馬を買ってください」と妻は訴える。妻のこの歌に、夫はこう答えた。
馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし 石は踏むとも我はふたり行かむ (巻13 3317)
たとえ石を踏んでもかまわない。二人で歩いていこう、と夫はむしろ妻を思いやる。ほのぼのとした夫婦愛の感じられる歌である。同様な名もない夫婦の歌をもうひとつ。
信濃道は今の墾(は)り道刈りばねに 足踏ましなむ沓(くつ)はけ我が背 (巻14 3399)
これは賦役のために都に旅立つ夫を見送る妻の歌であろうか。万葉の人々は私たちより遙かに貧しい暮らしをしていた。しかし彼らの心は豊かで、ほのぼのと美しい。
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