橋本裕の日記
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大伴旅人は奈良に帰る途上、歌をいくつも作っている。
吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は 常世にあれど見し人もなし (巻3 446)
吾妹子(わぎもこ)というのは太宰府で亡くなった妻のことである。九州に下るときは一緒に眺めたのであろう。それが今は見る人がいないという。長旅の疲れもあったのだろうが、喪失感は奈良の家に帰って、さらに深くなる。
人もなき空しき家は草枕 旅にまさりて苦しかりけり (巻3 451)
吾妹子が植ゑし梅の木見るごとに 心むせつつ涙し流る (巻3 453)
奈良の家に帰って眺めた梅は、亡き妻が植えたものだった。妻がいないので、花を一緒に眺めることが出来ない。しかし旅人がその花を眺めるのも、それが最後になった。やがて旅人は病を得た。
そして病床にあった彼の脳裏に蘇ったのは、やはり天の香具山の麓の「古りにし里」であった。いまそこに萩の花が咲いている。
指進(さしずみ)の栗栖の小野の萩の花 散らむ時にし行きて手向けむ (巻6 970)
しかし、旅人は再び出かけることは出来なかった。病床で、「萩の花は咲いているか」と尋ねた後、息を引き取ったという。735年秋7月。享年67歳であった。
かくのみにありけるものを萩の花 咲きてありやと問ひし君はも (余明軍 巻3 455)
余明軍は大伴家に使えた資人である。彼は主人旅人を追悼する歌を6首、万葉集に残している。またこれより少し前に、太宰府の沙弥満誓から書簡と歌が届いていた。
ぬばたまの黒髪変わり白髪(しら)けても 痛き恋には会う時ありき (巻3 573)
満誓は旅人の人柄によほど惚れていたのだろう。そうでなければ「痛き恋」などという言葉をかっての上司に使うはずがない。旅人が死んだ佐保の邸に、14歳の家持とその弟の書持(ふみもち)、そして妹がひっそりと残された。
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