橋本裕の日記
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2001年02月14日(水) 自然葬の風景

 昔は人は死ねば土に埋められるか、焼かれて、遺灰を野山にまかれた。たとえば、万葉集には次のような美しい歌がある。

  鏡なす我が見し君を阿婆の野の
  花橘の珠に拾いつ  (巻7 1404)

 鏡を見るように毎日見ていた恋人を、阿婆(あば)の野で焼いて、その橘の白い珠のような骨を拾った。さらに、そのあと、恋人の骨を清らかな山野に撒くのである。

  玉梓の妹は珠かもあしびきの
  清き山辺に撒けば散りぬる  (巻7 1415)

 特別な身分のある貴人は墓が造られたりもしただろうが、庶民は自然葬があたりまえのことだった。庶民がお墓を造るようになったのは、江戸時代幕府になって檀家制度が軌道に乗ってきたころからである。一つの墓に何人も入るという「先祖代々の墓」が一般化したのはずっと後で、明治30年代だそうだ。

 こうして日本では自然葬はほとんど姿を消してしまったが、外国では遺灰を自然に帰すことは自由に行われている。たとえば、ネール元首相、周恩来元首相、アインシュタイン博士、エンゲルス、ケインズ、ジャン・ギャバン、ライシャワー元駐日米大使などなど。こうした有名人に限らず、アメリカのカリフォルニア州では全体の約30%が散灰だという。

 私の夢はモンゴルの平原で夕日を眺めながら、ひとり誰も煩わせることなく、まただれからも煩わされることなく死んでいくことだ。死んだ後の体は、鳥たちがきれいに片づけてくれるだろう。そうして跡形もなくこの地上から消えることができれば、理想的な自然葬と言える。


橋本裕 |MAILHomePage

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