橋本裕の日記
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2001年02月17日(土) アメリカの理想主義者

 アメリカ建国の父といえば、ジョージ・ワシントンやベンジャミン・フランクリンなどの名前が上がるが、私が好きなのは、トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson1743〜1826)である。

 彼は、弁護士であり、農場経営者、建築家、科学者、音楽家、作家、哲学者、そして政治家であった。フランスの公使として勤務し、ワシントン大統領の国務長官、ジョン・アダムスの副大統領となり、1800年に三代目大統領に選出されている。

 独立宣言の起草者である彼は,アメリカではPen of the Revolutionと呼ばれ、アメリカで最も慕われている大統領の1人だという。ジェファーソンは大統領の職務に取り巻いている虚飾を取り除き、最も良い政府とは最も小さい政府であると信じて疑わなかった。独立後間もないアメリカ議会において,彼の掲げる理想主義的政策と,第2代大統領ジョン・アダムスの現実路線とがしばしばぶつかりあい,これが後の2大政党制へと発展していったという。

 独立宣言の中のでも有名なのは「All men are created equal」であろう。しかし当時33歳だったジェファーソンがこの有名な一文を書いたとき、彼自身の農園でも多くの黒人奴隷が働いていた。多くの州がこれに反対し、議会はもめにもめた。

 このジェファーソンの言葉を、福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと云うへり」と日本に紹介した。奴隷制度を克服して平等な民主主義社会を実現しつつあった米国は、江戸幕府を倒し、士農工商の身分制度を克服しようとしていた日本とって、一つの理想的なお手本だったといえる。このジェファーソンの言葉は1776年以来、その後に引き続く彼の後継者たちによって堅持され、理想と現実のギャップを埋める努力がなされて来た。

 彼は大統領職を1800年から2期勤めた後引退し、彼が愛していたモンティチェロの、ヴァージニアの故郷へ戻った。そこで、彼は大衆への教育の理念と、ヴァージニア大学の創始に心身を打ち込んだ。そして、独立宣言が発表された丁度50年後に当たる7月4日に,バージニア州シャーロッツビルの私邸モンティセロで息を引き取った。

 彼の最後の言葉は「7月4日になりましたか?」だったという。一方,第2代米国大統領を務めたマサチューセッツ出身のアダムスが没したのも,まさに同じ日で、彼の言葉は「ジェファーソンは,まだ生きているのか」だった。

 ジェファーソンは奴隷の女性と20年間に及ぶ交渉をもち、子供まで産ませていたようだ。ジェファーソン記念財団は、DNA鑑定など生物学的証拠と史実を検証した結果、彼が混血の奴隷サリー・ヘミングズの6人の子供の父親である可能性が非常に強いと発表している。

 理想主義者の彼は実生活でも平等を「体現」してみせたのだろうか。ヘミングズの子孫の多くは大統領の血筋と同様、奴隷の血筋も誇りに思っているという。こうした事実があばかれても、一向人気が衰えないところも、ジェファーソンの人徳なのだろう。


橋本裕 |MAILHomePage

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