橋本裕の日記
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アテネの民主主義は、官職抽選制や政策決定最高機関である市民集会への成年男子市民の自由参加など、民主主義の制度としてより進んだ面もあるが、もちろん大きな限界もあった。それはポリスの繁栄は多くの奴隷たちの労働によってによって支えられていたということだ。
アテネの場合、人口の約3分の1にあたる約8万人の奴隷がいた。多くは異民族の被征服民で、召し使いや、陶器の製造、農業生産のために奴隷が使われ、彼らが3分の2にあたる市民の生活を支えていた。鉱山(ラウレイオン銀山が有名)での強制労働のためにも大量の奴隷が使用された。
アリストテレスは「奴隷は生きた財産である。奴隷と家畜の用途には大差がない。なぜなら両方とも肉体によって人生に奉仕するものだから」と述べている。奴隷を人間として認めていないのは、ソクラテスやプラトンも同じだった。
彼らは戦争によって、奴隷という財産を獲得した。ギリシャの絢爛たる精神文化の影に、血なまぐさい戦争と、暗く悲しい奴隷たちの悲惨な生活があったことを忘れてはならない。戦争は民主主義を生み出したが、奴隷制度をも生み出したのである。
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