橋本裕の日記
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2001年03月11日(日) 茶髪の少女となりにけり

 私の髪は白くなりかけてきたが、もともとは黒かった。しかし、妻がいくらか茶髪のせいか、長女はかなりの天然茶髪である。しかし次女は私に似て黒い髪をしている。

 次女の通っている名古屋市の市立高校は、髪やソックスについては自由で、生徒たちはもうほとんどが茶髪だと聞いていた。アルバイトも自由な学校で、そうした個人的なことに学校は干渉しないということらしい。すべてを本人の自主性にまかせるという立場で、進学校でありながら、補習もない。

 私もこうした考えに基本的に賛成だったが、実際に次女がスカートを短くして、黒い靴下を穿いて学校に出かける姿を見るのは、あまり愉快ではなかった。しかし、まだ、髪は黒い。もともと中学生時代は融通が利かないくらいの真面目な模範生だったので、よもや髪まで染めることはないと思ったが、それでも不安になった。「茶」に交われば「茶」に染まることもあるだろう。

「いいかい。髪なんか染めたりしたら、家においておかないからな」と私が言えば、妻が笑いながら、「何を頭の固いことを言っているのよ」と娘たちの肩をもって茶髪容認発言をする。「いや、絶対駄目だ。髪なんか染めたりしたら、お父さんは家を出るぞ。別居だからな」と、トーンをあげると、「いっそ私も金髪か黄色に染めようかな。似合うかもね」などと、妻がますます面白がって張り合う。

 そんな会話があった明くる日、次女の髪を見ると、いくらか茶色になっている。「あっ、染めたな」と私が言うと、「昨日お店に行ったのよ。お父さん、昨夜、気付かなかったの。私のことしっかり見ていなかったんだ」と、訳の分からない逆襲を受けた。

 さあて、公約どおり、家を出ようかどうか、今迷っている。しかしその前に、クラスの女生徒の家に電話をかけなければならない。茶髪で登校したため、個人写真を受けられなかった生徒である。「髪の色を直してしてきて下さい。個人写真がとれなくて困っています。来年度の生徒手帳にはる大事な写真なんですから」電話口に出た母親に言いながら、私の声はいつもよりさらに迫力がなかった。


橋本裕 |MAILHomePage

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