橋本裕の日記
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ヘーゲルは「精神現象学」の中で、「『体験』は反省を経ることによって『経験』へと深められる」と書いている。同じ事は、戦争についても言えるのだろう。戦争が終わって半世紀以上の年月がたった。その体験は風化する一方である。これをしっかりと「経験化」する必要がある。そうすることで、戦争の悲惨な記憶は、ひとつのかけがえのない精神的体験=経験として私たちから未来の世代へと受け継がれる。
家族旅行で沖縄に行ってから、まる一年が経とうとしている。そのとき書いた紀行文は「何でも研究室」のページに載せてあるが、今読み直しながら、ヘーゲルの言う「経験」という言葉の重みに気付いた。やはり文章にして残しておくのは大切なことである。「体験」を「経験」へと深めるために、書くという行為はとても有効だと思う。
「健児の塔の傍らにも壕があった。こわごわ降りてみると、壕の奥は暗く、私はカメラのフラッシュをしきりに焚いたが、よくみえない。この壕の中でも多くの惨劇が行われたのかと思うと、肌に触れてくる冷気がひときわ冷たく感じられた。外で様子を眺めていた妻や娘が心配してしきりに私を呼ぶ」(沖縄紀行)
この壕のことはとくによく覚えている。私はこの壕の暗闇に身を置くことで、戦争というものの怖さを実感したように思った。私がその真っ暗な壕に中にいたのは、ほんの数分である。もしそこに一時間もいたら、私は恐らく恐怖の余り失神していたのではないかと思う。
沖縄戦の戦死者は、日本兵6万9908人、沖縄県出身兵2万8228人、その他の戦闘参加者5万5246人、一般住民9万4754人で計24万4136人。そして米軍の戦死者は1万2528人。数字を見て驚くのは、非戦闘員の死者の数が多いことだ。
「ひめゆり部隊」や「鉄血勤皇隊」など、壕の中での集団自決は凄惨を極めた。捕虜の辱めを逃れるために、少年や少女は他の住民や兵隊たちとともに、手榴弾や毒薬、カミソリなどで自決したり、追いつめられて崖の上から飛び降り自殺をした。渡嘉敷島では住民約150人が手榴弾で集団自決した。
こうした知識を持ちながら、真っ暗な壕の中に一人でいることは、わずか数分間であっても、ほんとうに耐えられない恐怖である。しかし、実際に戦争の地獄を肌身に感じるためには、たとえば一昼夜この壕のなかで座禅でも組んでみる必要があるのかもしれない。今度沖縄を訪れた時には、少なくとも一時間はこの恐怖に身をさらしてみようかと思う。
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