橋本裕の日記
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2001年03月28日(水) 長野県知事の挑戦

 田中康夫長野県知事が20日に出した「脱ダム宣言」を読んだ。その旧式な文章表記に驚いたが、それはともかくとして、宣言自体の内容はもっともなものである。

「河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい。長期的な視点に立てば、日本の背骨に位置し、数多(あまた)の水源を擁する長野県に於いては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない」
 
 田中知事はこれを、長野モデルとして確立し、全国に発信したい」と意気軒昂である。その言やよし、多いに理想の実現に向けて頑張って貰いたい。

 ところでこうした田中氏について、「独裁的」だという批判が起こっている。長野県議会を牛耳っているのは反田中の自民党をはじめとする既成政党だから、まあやむをえないとしても、多くのマスコミや身内からも批判の声が挙がっている。この騒ぎに中で県の土木部長は更迭されたし、これまで知事を支えてきた側近の特設秘書までが辞表を出して離れていった。

 田中氏の独裁的な手法は、これまで培われてきた日本の政治風土になじまないということだろう。つよいリーダーシップが不在なことが日本の政治の欠点だと言われてきたが、実際に権力を握った者がその権力を行使しようとすると、たちまち「独裁的」だと非難され、四面楚歌のなかに置かれる。とくに、議会との軋轢はかなり深刻である。このままでは県政自体が混乱し、立ち行かなくなる可能性さえある。

 こうしたことが起こるのは、知事が直接選挙で選ばれるからだろう。無党派の知事が選ばれると、既成政党で固められた議会との間に緊張関係が生まれ、場合によっては知事と議会の二重権力構造の中で政治の混乱や遅滞が生じることになる。

 同様なことは、国政レベルでも考えられる。大統領制や首相公選制に反対する主張の最大の論拠もここにある。微温的な議員内閣制であれば、こうしたねじれや緊張関係はまず起こりようがない。だから、国政の首長を直接民主主義で選ぶのは冒険だと言うことになる。

 私は首相公選制もしくは大統領制を支持したい。それでは議会との軋轢はどう解決したらよいのかということだが、これにはとっておきの秘策がある。これについては、あしたの日記で明らかにしたいと思う。


橋本裕 |MAILHomePage

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