橋本裕の日記
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2001年04月05日(木) カポーティの「夜の樹」を読む

 アメリカの作家、トルーマン・カポーティ(1924〜84)と言えば、「ティファニーで朝食を」「冷血」などの作品で有名だ。私はそれらを読んではいないが、映画で見たことがある。「ティファニーで朝食を」のオードリーはなかなか小粋で可愛いかった。「冷血」は無慈悲に一家を殺した犯罪者の心の闇を、ドキュメンタリータッチで描いている。

 ところでカポーティの初期の短編に「夜の樹」という作品がある。図書館で「ティファニーで朝食を」や「冷血」を捜していて、たまたまこちらの方を先に見つけたので読んでみることにした。川本三郎訳の新潮文庫である。

 読んでみて、大変心を打たれた。カポーティは4歳の時、両親が離婚し、その後母親が再婚すると親戚の家にあずけられ、南部を転々とした。高校を卒業すると、ニューヨークの雑誌社で雑用係りをしながら小説を書き始める。「夜の樹」は1943年、若干19歳のときの作品だというが、すでに人生の恐怖と孤独、内面の真実に満ちた彼独自の幻想的で繊細な美の世界がしっかり確立されている。

「冬だった。暖かさなどもうとうになくなった裸電球の列が、小さな田舎の駅の、寒々とした吹きっさらしのプラットホームを照らし出していた。夕暮れどきに雨が降った。そのために出来た氷柱が、水晶の怪物のおそろしい歯のように、駅舎の軒からぶらさがっていた。プラットホームには女の子がひとりいるだけだった。若い、やや背の高い女の子だった」

 女の子の名前はケイで、19歳の大学生。叔父の葬儀のためにやってきた彼女は、緑色のギターを抱えて、この寒々とした駅舎から、アラバマ地方を走るみすぼらしい夜汽車に乗り込む。陰気によどんだ煙草の煙が漂う車内はほとんど満席で、やっと見つけた空席はただ一つだけ、車両の端の他の席から離れたボックス席で、そこにはすでに一組の得体の知れない男女が座っていた。

 女は50歳を過ぎたあたりで、背が低くて足が床に着かないのに、毛を赤く染めた頭が異常に大きく、たるんだ肉付きのよい顔に頬紅を塗りたくっている。男の方はほとんど口を利かず、何か恐ろしい方法で突然歳をとってしまった子供のように見える。腕にはミッキーマウスの絵の付いた腕時計をはめ、ブルーのサージの上着を着て、安物の香水の匂いをふりまいている。

 女は酔っていて、安物のジンをケイに勧め、しきりに話しかけてくる。女の話によると、彼らは夫婦で、見せ物の巡業をしているらしい。男が聖書に出てくるラザロという、葬られて4日目に復活した男の役を演じるという。「いいかい1ドル稼ぐんだって大変なんだよ。先月いくら稼いだかわかる? たった53ドルだよ。お嬢さん、いつか、それだけの金で暮らしていけるかどうか試してごらん」女はスカートをまくりあげると、ペチコートのすり切れた縁で鼻をすすった。

 男の方は相変わらず無口だが、不透明なブルーのおはじきのような目でケイを観察するように眺めつづけ、不意にすっと手を伸ばして、彼女の頬を撫でようとする。そして、彼女にチャーム(お守り)を見せ、買ってくれというそぶりを繰り返す。気味が悪くて買う気になれないケイは「お金がない」と嘘を言ってそれを断る。しかし、どうにか上辺をとりつくろい、教養のある大学生として品よく社交的に振る舞っていた彼女も、こうした雰囲気にしだいに耐えられなくなって、とうとう身一つで最後尾の展望台に逃げていく。

 冬だから外はとても寒い。列車がアトランタに着くのは明日になってからだ。小さなランプで手を温めながら、ケイはむずかる子供のように拳で壁を叩き、静かにすすり泣きをした。そして恐怖と寒さに震えながら、皎々とした月が照らすアラバマの原野に目を遣っていると、先ほどの男がやってきた。

「男の、害のない、ぼんやりした顔が、ランプの光で明るく照らし出されるのをじっと見ているうちに、ケイは、自分が何をこわがっているかがわかってきた。それはある記憶、子供っぽい恐怖の記憶だった。かって、遠い昔、夜の木の上に広がった幽霊の出る枝のように彼女の上におおいかぶさっていたものだった」

 ケイの田舎の家の前に、大きな樹が立っていた。大人たちがあの木には幽霊がすんでいるのだよと脅かした。幼いケイにとってその大きな樹は、恐怖に満ちた人生の象徴だったのである。白痴の男がその恐怖を思い出させた。しかし、その恐怖を前にして、ケイはどうすることもできない。ただ子供のように震えているだけだ。男のあとについて、彼女はまた先ほどの座席に戻る。

「たしかめるのはこわかったが、男が自分を見ているのがわかった。彼女は大声で車内の人間をすべて起こしてしまいたかった。しかし、彼らが彼女の声を聞かなかったら? 彼らは本当に眠っているのではないとしたら?」

 ケイはこの恐怖から逃れるため、チャームを買う決心をして、それを女に告げる。しかし、女は返事をしない。ただ男と顔を見合わせ、笑っているだけだ。そうしているうちに、月の形ををした石が水面下を滑り落ちて行くように、男の顔が遠くなっていく。いつかケイの意識が遠のき、うとうとと始めたようだ。そうした無防備なケイの顔の上に、女がレインコートをそっと経帷子のようにかけるところで、この小説は終わっている。

 奇妙な味の小説だが、よく読んでみると、はじめは不気味と思えた男女がほんとうは人生の真実を象徴しており、女学生のケイの方がその場しのぎのうわすべりに思われてくる。ケイの体験した恐怖は、彼女が成長の過程で都合よく捨ててしまった闇の世界からの告発なのかも知れない。あるいはすべてが彼女の抑圧された潜在意識の作りだした幻想のようにも思われる。

 19歳のカポーティは、すでにこうした繊細で幻想的な自分の世界を完成させていた。なんという早熟の天才だろう。そして彼のこの美しい処女作は何という香ばしさで、人生の奥深い闇の世界を力強く、冴え冴えと照らし出していることだろう。

 現代人にとって真実の世界はますます遠くなりつつある。しかし、私たちはカポーティの小説に描かれたある種の幻想的な恐怖体験のなかに、そのたしかな手応えをありありと感じることができる。


橋本裕 |MAILHomePage

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