橋本裕の日記
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2001年04月06日(金) |
発光ダイオードの発明と学力 |
今世界で一番有名な日本人学者は、米カリフォルニア大学教授の中村修二さん(47歳)だろう。彼は青色発光ダイオードの発明者として世界に知られている。3原色のうち、赤や黄色のダイオードについては開発されていたが、最後の「青」がたいへんな難物で、世界中の研究者がさじを投げていた。
どんな色でも3原色で表すことが出来る。逆に3つそろわなければ意味がない。誰もが待ち望み、誰もがあきらめていたその青色発光ダイオードの開発に、中村さんは1993年に成功した。発光ダイオードは電気を熱に転換することなく、直接的に光を生み出す。この省エネ技術を使えば大画面のデスプレイも思いのまま実現する。まさにノーベル賞級の発明である。
中村さんは、1954年、愛媛県の生まれで、「子どものころからぼーっとしていて、暗記科目は考えただけで嫌悪感が湧くような生徒」だったという。それでも徳島大学に進学、大学院を出たあと地元・徳島の中小企業に就職した。そして就職先の地元企業で、ノーベル賞級の発明をした。彼は著書「考える力、やり抜く力、私の方法」(三笠書房)の中で、受験秀才のエリート研究員とはまるで違うコースを歩んできた半生を、次のように振り返っている。
「なぜ歴史で何年何月に何があったなどということを覚えなければならないのか、いつまでたっても理解できなかった。・・・時がたつにしたがって、その疑問はすでに嫌悪感まで昇華してしまって、もう頭が受けつけなくなってしまった。・・・それはいまでも続いていて、とにかく意味もなく覚えるのは大嫌いだ。こういうことに時間を費やすのは意味がないし、それこそ時間の無駄だと思っている」
「数学は、基本の公式さえマスターしていれば、あとは自然に解けていく。覚えることは最小限ですむ。私にとってはこの公式を覚えるのも苦痛だったが、とにかく、自分で問題を一から解いていくのが好きだった。限りなく深く問いつめていく、という自分なりのスタイルはこの時に培われたものなのかも知れない」
「手作りでコツコツ製品を完成させていった時、その過程のなかでふと見えるあわい光のようなもの、それがその後に自分流になっていく。そして、この自分流を強く押し出し、徹底して貫く時、さらに大きな成功が可能になっていく」
「私にとってこのぼーっとしている状態というのは、一時的に判断を中止している時間帯だった。そして、この判断中止ということが、物事の本質を見抜く上でいかに大切であるかを思ったのは、ずいぶんあとになってからのことだった」
中村さんは、「高度な学力など必要はないのだ。いや、むしろ、そのようなものは邪魔になる」とまで書く。「学力」とは「学んだ力」ではなく、「学ぶ力」だという。問題を自分の頭で考えて解決し、そしてこの世にない全く新しいものを創造する力、それが本当の学力であり、そのために必要なのは、「一パーセントの成功の可能性に挑戦する」といった「強靭な精神力」と「愚直な自分流」だそうだ。
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