橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
2001年04月08日(日) |
中年クライシス(2) |
昨日の日記について、「中年の危機」を象徴するために使った「崖の下の家」は「崖の上の家」ではないのかという、北さんの問い合わせがあった。たしかにイメージとしては「崖の上」だが、河合隼雄さんの「中年クライシス」では「崖の下」になっている。
その理由だが、実はこの部分は夏目漱石の「門」という小説を題材にして書かれているためである。漱石のこの作品は、宗助と御米という中年夫婦の直面する危機を描いている。そして、彼らのすむ家が「崖の下」にある。「門」から引用しよう。
「茶の間の襖を開けると、すぐ座敷である。南が玄関で塞がれているので、突き当たりの障子が、日向から急に入ってきた眸には、うそ寒く映った。そこを開けると、庇にせまるような勾配の崖が、縁側から聳えているので、朝の内は当たって然るべき筈の日も容易に影を落とさない。崖には草が生えている。下からして一側も石が畳んでないから、何時壊れるか分からないおそれがあるのだけれども、不思議にまだ壊れたことがないそうで、その為か家主も長い間昔のままに放ってある」
町内に二十年も住んでいる八百屋の親爺は「崖だけは大丈夫です。どんなことがあったって壊えっこはねぇんだから」と保証してくれるが、主人公は不安で仕方がない。そして主人公のこの不安はやがて、夫婦の危機という形で、実際に現れてくる。
相思相愛と思われた二人の好夫婦にも、実は暗い過去があった。その過去からの亡霊が突風となって二人に襲いかかってくる。不安に駆られた宗助は宗教に救いを求め、参禅したりするが、「父母未生以前の本来の面目は何か」という老師から貰った公案に宗助は答えることができず、山門を後にすることになる。しかしこのあと、事態は何となく好転し、いつか季節も春を迎える。「門」の終わりは次のように結ばれている。
「御米は障子の硝子に映る麗らかな日影をすかし見て、『ほんとうに有り難いわね。ようやくの事春になって』と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く伸びた爪を切りながら、『うん、然しまたじき冬になるよ』と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた」
漱石の「門」という小説を読んだのは大学時代である。しかし、この小説は中年になってからよむとよく分かるのではないだろうか。河合さんが書いているように、ここに描かれているのはまさに「中年クライシス」と言ってよい世界だからだ。たしかにそこには、二律背反に悩み、門の前に呆然とたたずむしか能のない、中年の不安で鬱屈した心の闇の世界が、しみじみとした趣のある筆で描かれている。
河合さんの「中年クライシス」には漱石の「門」や「道草」の他、山田太一の「異人たちの夏」、大江健三郎の「人生の親戚」、阿部公房の「砂の女」、谷崎潤一郎の「蘆刈」、志賀直哉の「転生」などが取りあげられていて、それらを題材に中年の危機のさまざまな姿を鮮やかに分析しながら、それぞれがまた文学作品の魅力的な紹介になっていて、なかなか味わい深く、読み応えがあった。
|