橋本裕の日記
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2001年04月09日(月) 人生のシナリオ

 人生は「青年期」「壮年期」「中年期」「老年期」に分けられる。これを四季にたとえれば、「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」であろう。また、インドではその内容に応じて、「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」に分けるという。このように、人生を一つの「起承転結」を備えた作品として考えることもできる。

 人間はほぼ20年間、学びの時を過ごす。そして、次の二十年間、社会人として職業を持ち、あるいは家庭を営む。こうした壮年期の活動によって、社会的地位は安定する。しかし、社会的に成功しても、それだけでは人間の心は充たされない。自分の半生を振り返り、はたしてこれで自分はいいのだろうかと自問する。また、自問せざるを得ない状況(中年クライシス)が起こってくるのが中年期だ。

 青年に思春期があるように、中年には思秋期がある。そして、中年期を境に、人生の坂道は下りへと転換し、人生の風景も秋へと移る。その先に待ちかまえているのは、死へと傾斜する人生の冬である。

「科学の対象としている現実はひとつであっても、現実そのものはもっと多層的であり、そこの唯一の正しい現実があるのではない。その多層的な現実をどのように知り、どう折り合いをつけるかという困難な仕事をするのが、中年なのである。このところがうまくいかないと、青年のまま年をとるので、老いや死を迎えることが、大変なことになってくる」(河合隼雄「中年クライシス」)

 こうした中年期の試練をくぐり抜け、「魂の方向転換」(プラトン)を経験することによって、人生は一段と深みをまし、人生の四季も味わいを増すことになる。「中年の危機」とは、つまりこれまでのお仕着せの人生が解体して、あらたな人生を創造するために与えられた試練だとも考えられよう。

 こう考えてくると、人生もまたひとつのかけがえのない物語であり、起承転結を持つシナリオだということがよくわかる。大切なのは自分の人生のシナリオを他人任せにしないで、自分の手で書こうとすることではないだろうか。


橋本裕 |MAILHomePage

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