橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
人間はその置かれた立場によって、主張を変える。これは田原総一朗さんが本に書いていることだが、経営の神様と言われた松下幸之助のような人でも、最初から立派なことを言っていたわけではない。最初は自分の会社や従業員が最優先で、「売り上げを伸ばし、会社を大きくしろ。儲けろ」とばかり言っていた。
ところが会社がある程度大きくなって、同時に地域の中で公害問題などが生じてきて、クレームがつきはじめると、彼は「企業の社会的責任」とか「地域との共存」ということを言いはじめる。そうした配慮をしないと、企業としてさらなる飛躍がむつかしいと見たからだ。
さらに会社が大きくなり、日本を代表するような企業になると、日本の将来を考えて「日本を憂える」などと言い始め、PHP活動を始める。さらに世界的な大企業になると、彼の発想は地球の運命にまで及び、「二十一世紀を考える」などと、高尚なことを唱え始める。こうなるともう立派な国際的な見識をそなえた経営者である。
このように、人はその立場に応じて成長し、主張も変えていく。これは企業人のみならず、政治家にも言えることだろう。市会議員と知事では、その政治的な発言や発想に違いがあるはずである。国会議員、首相になれば、さらにグローバルな視点や教養が要求される。当然考え方や発言内容も変わってくる。
ところが、こうした当然のことが理解できず、その地位や立場に応じた振る舞いが出来ない不器用な人がいる。森首相などそのよい例だろう。彼の言動や見識はどう贔屓目に見てもどこかの地方の議員や首長のレベルで、とうてい一国を代表する政治家の水準に達しているとはいえない。
彼はこうしたローカルな発想で国際政治の舞台に出ていった。そして、結局は地金が出て、恥をかいた。森首相の悲劇は自分をそうした状況に合わせることが出来なかったということ、言葉を変えれば、あまりに純朴で平凡な根っからの地方人だった、ということにあるのだろう。
|