橋本裕の日記
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2001年04月19日(木) |
ちょっぴり志があれば |
私が小学生の頃は「少年よ大志を抱け」とよく言われた。私は大志とまではいかなくても、何か志のあるた生き方をしたいなと思った。多くの人もまた志のある生き方を夢見たのではないだろうか。しかし、今私たちはその志がなかなか見つからない時代に生きている。
たしかに日本は国としても個人としても目標を失っている。国が豊かになり、モノが回りにあふれる中で、どこへ生き方の照準を向けたらよいのか分からない。私たち日本人は努力して「豊かさ」を手に入れたが、その「豊かさ」の使い方を知らない。せっかく「自由」を手にしながら、それをどう活用したらいいのかわからず、持て余している。
こうしたなかで、子供を教育するのはなかなかむつかしい。大人は自分の生き方に自信を失い、もはやお手本にならないとなると大変である。お手本にならないどころか、反面教師にさえなっている。大人が生きる目標を失い、さえない顔で暮らしていては、子供が自分の幸福をイメージできるはずがない。
劇作家の鈴木聡さんは、「教育とは、子供達を、人生を豊かに楽しむ幸福な大人へ導くこと。それがなぜいま、機能しなくなったのでしょう」と問題提起し、次のように述べている。
「魅力的な大人がたくさん歩いている。文化や学問を楽しむ気配が満ちている。社会の現在を呼吸している・・それは、むしろかつての、人間味あふれる町の姿に似ているかもしれません。共同体が機能を失ったいま、全人格のポテンシャルを高める、教育の場としての共同体の役割を、学校が担う必要があると思うのです」(国民教育会議資料)
現代は大きな転換期である。近代的な産業社会から、高度情報社会へ。ハードからソフトの時代へ。集団のアイデンティティではなく個人のアイデンティティが尊重される時代へと。そうした中で、私たちは社会に対する認識を持ち、自分を見失わずに生きていくことが必要になる。
時代が変わっても、人間の本質はかわらない。そのかわらない真実をたよりに、あまり右往左往ばかりしないで生きていきたい。私たち大人の世代が、人生を豊かに楽しむ幸福な生き方を、若い世代にちょっぴりでも示してやれたらと思う。私にとって、志とよべるものは、いまのところそれくらいだろうか。
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