橋本裕の日記
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昔アテネに、樽の中で生活している男がいた。名前をディオゲネス(前336〜264)という。アレキサンダー大王が彼の前に立って「何か望みはないか」と聞いたとき、「そこをどいて、私に日光を与えて下さい」と言った話は有名である。
この男は他にもいろいろと逸話を残している。たとえば、あるとき彼が野菜を洗っていると、知人が通りかかって、「君も金持ちの友人を持てば、野菜を洗わなくてすむようになるだろうに」と声をかけた。これに対して、彼はすかさず、「君こそ野菜を洗う楽しみを知れば、金持ちの友人とつきあわなくてすむだろう」と答えたという。
この男の弟子に、クラテスという哲学者がいて、「ポリスの砦や家が私の祖国ではなく、大地のいたるところが私の住む都市であり、住居である」という言葉を残している。彼は師を見習って、妻と一緒に「自然に従う」乞食生活をしていたという。
そしてクラテスの弟子が、ストア派の始祖ともいうべき哲学者ゼノン(前336〜264)である。彼はキプロス島の生まれで、貿易商人だったが、嵐にあって船が難破し、やっとの思いでアテネにたどり着いた。そこで、クセノフォンの「ソクラテスの思い出」を読み、クラテスの弟子になって哲学に志すようになったのだという。
彼が書き残した「国家論」は断片しか伝わっていないが、彼はアリストテレスの「人間はポリス的生物である」という考え方を批判して、世界には一つの法(自然法)、一つの国家があるだけで、すべてのポリスはそのなかに解消され、人々はひとしく世界市民となるべきだと考えた。
彼は「すべての人間は同じ理性をそなえていて平等である」と考えたから、彼の理想とする国家には、市民と非市民、自由人と奴隷の区別がなかった。偶像崇拝や犠牲祭祀は理性的な立場から批判され、ポリスに必要とされる神殿や法廷、体育館などはなく、男女の差別もない。
彼の自然法の考え方や世界市民主義は、その後ローマ法やキリスト教に受けつがれた。さらにはヨーロッパ思想のもっとも良質な合理精神の源流となり、自由や平等、民主主義を志向する貴重な知的共有財産として、今日の我々にまで受け継がれている。
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