橋本裕の日記
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2001年04月25日(水) エピクロスの園

 ゼノンとほぼ同じ頃、サモス島生まれのエピクロス(前342〜271)がアテネ郊外に学園を開いて、哲学を教えていた。彼の学園は「エピクロスの園」と呼ばれ、哲学者ばかりでなく婦人や子供、奴隷まで集まってきたという。人間の感覚や感性を重視する彼の哲学には、高邁な哲理を振りかざす学問的な難解さはなかった。むしろ「人生を如何に幸福に生きるか」という実践的で、処世的な面が重視されていた。

 エピクロスの哲学は感覚尊重の立場から、ともすれば「快楽主義」と呼ばれ、ゼノンの唱えた理性を尊重するストア派の「禁欲主義」と対立するものとして扱われるが、これはあまりに通俗的な理解と言うべきだろう。実際、彼の哲学は精神の安静を幸福と考え、自然に即した生活を理想とした点で、ストア派と共通するところの方が多い。そしてストア派の代表的な文人セネカも、その著作の中でエピクロスを何度も引用し、彼の哲学にもっとも深い理解と共感を示している。

「自然の道に帰ろうではありませんか。そこにこそ富が用意されています。われわれが必要とするものは無料であるか、あるいは安価なものです。パンと水だけが自然の欲するものです。このような状況では貧乏な者はひとりもいません。この状況のうちに自らの欲望を限定できる者は誰でも、ゼウスの神とさえ幸福を競い合えると、エピクロスも言っています」(セネカ、道徳書簡集25)

 エピクロスは唯一の善を快楽としたが、彼の主張する「快楽」は理性による節制の結果得られる、「心の平静」であり、すぐれて精神的なものである。物質的にはむしろ「禁欲主義」といってもよく、それは彼の「われにパンと水さえあれば、ゼウスの神と幸福を競おう」という有名な言葉にもうかがえる。

 ところで、セネカをエピクロスに傾倒させたのは、エピクロスがくりかえし「死の恐怖からの克服」を説いていることも大ききいのだろう。エピクロスにとって「善悪はすべて感覚のうちにあるが、死は感覚の喪失」であった。

 死はわれわれが生きている間はまだ来ていないし、死が来たときには、われわれはもはや生きていない。したがって、「死は、生者にとっても死者にとっても、無関係なものである。死は生者にとって、存在しない」とエピクロスは説く。たしかに、われわれは存在しないものを恐れる必要はないわけだ。

「生きていることを嫌うのでもなく、また死を恐れるのでもない。というのは、知者にとって生きていることが煩わしくもないし、また死を悪いことだとも思わないからである。あたかも人が食事を選ぶのに、かならずしも量の多いものではなく、最も快い味のものを選ぶように、知者は最も長い時間をでなく、最も快い時間を楽しむのである」(メノイケウスへの手紙)

 こうしたエピクロスの文章を読んでいると、いつしか私自身「エピクロスの園」に招かれて、彼の言葉を身近に聴いているような幸せを覚える。彼の言葉は私たちの魂に直に働きかけ、人生の苦労や不安をとりのぞき、私たちの心をよりよく生きることの喜びへと導いてくれる。


橋本裕 |MAILHomePage

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