橋本裕の日記
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2001年04月29日(日) 虹の正体は何か

 虹は万葉集にも詠まれているが、古代人にとって、それは神秘的な存在の代名詞であった。ギリシャ神話の女神イリスは虹の神で、天と地、神々と人を結ぶとされ、神々の使者とされている。中国でも虹は天と地を結ぶ架け橋だと考えられていた。

 漢字の「虹」は虫と工からできているが、その意味は「天と地を繋ぐ蛇」だという。蛇は雨を呼ぶ生き物として信仰されたが、虹も又雨にゆかりがある。古代人にとって虹は希望を呼ぶ光だったのかも知れない。

 虹について、はじめて科学的考察を加えたのはギリシャ人だった。例えばアリストテレスは『気象学』の中で、虹はできたばかりの雨滴が「霧よりもよい鏡」になるために、それによる反射で現れるのだと唱えた。

 これを受けて、セネカは最後の著作となった『自然研究』の中で、「虹は雲という鏡に映った太陽の似姿であって、実像ではない」と述べ、実際の鏡も実物を歪曲して、「覗くとぞっとするような怖い鏡もある。・・・それゆえ、この種の鏡が雲の中に生じて、そこに太陽の欠陥像を写し出したとしても、何の不思議があるだろうか」と書いている。つまり、虹とは雲という不完全な鏡によって反射された、太陽の千々に砕けた分身だというわけである。

 ところで虹は7色と言われるが、これも昔からそうと決まっていたわけではない。アリストテレスは,虹には赤録青の三色があるが,赤緑色の間に黄色がある場合もあると述べている。今でも南米の方では3色という民族もあるそうだ。ちなみに日本人も昔は3色から6色までで考えていた。江戸時代の『和漢三才図会』には,虹は「弓形をしていて外は黄,中は緑で紅をつつむ」と記載されている。

 虹についてほぼ完璧な科学的説明を与えたのはニュートンである。彼は虹は球形の水滴に太陽光が入射して水滴内部で反射して出射することで発生し、太陽光に含まれる7色の光の水滴内での屈折率違いが、虹の色を作り出すと考えた。

 なぜニュートンは虹を7色と考えたのだろうか。それは音階からの類比だったという。音の7音階と太陽光の7色が対応していると考えたようだ。この点で、ニュートンはいささか科学者らしい厳密生を欠いていた。彼の権威によって、日本では明治時代に入って虹は7色と決まったが、実のところ虹が何色であるか、それは虹そのものの属性ではなく、それを眺める人間の文化的習慣である。

 さて、ふたたびセネカに戻ろう。セネカは鏡の比喩を使って、「これらのものは似姿であり、本当の物体の虚像であるが、それらの像自体も、次のことができるように誰かが作った鏡によってへんてこに歪められる。・・・誓って言うが、罪悪というものもそれ自体をまともに眺めることを恐れる」と述べている。

 セネカは自然について語りながら、いつの間にか、人間について語っている。人間の心に住み着いているもろもろの悪徳が、暗うつな雲のようにわだかまり、いびつな鏡となって、さまざまな人生の幻想を現出させる。「覗くとぞっとするような怖いか鏡」とは、すなわち悪徳にまみれた人の心なのだろう。そのような歪な人の心に、自然のほんとうの姿が映るはずがないと、セネカは考えていたようだ。


橋本裕 |MAILHomePage

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